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千路村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。羽咋郡のうち。慶長13年土方氏領,貞享元年幕府領,天明6年からは加賀藩領。主産業は潟内猟業で,安永期には猟師133軒を数えた。猟船数は,寛政12年77艘,安永3年77艘・嘉永2年71艘,慶応3年67艘(服部家文書・加藤家文書)と減少傾向。漁獲は,鮒・鰡・鯰・ウナギ・蜆・小海老など。寛政12年村御印の村高89石余,免4ツ5歩,山役184匁・苦竹役5分・猟船櫂役385匁・投網役154匁で潟縁村々の中で最高額(木谷家文書)。江戸末期には肥料用潟藻を採取,近在21か村へ売り渡し,米との交換で年間代米135石余を得た(羽咋市史)。ほかに蜆貝の殻を焼き立て,肥料として石川郡宮永村や八田村へ船積みして売却した(木谷家文書)。安永3年の家数百姓92・頭振41,人口750。鎮守の白鬚神社は,村の北西の丘陵にあり,村中の若宮八幡宮に対して奥の宮と呼ばれる。祭神は神社明細帳では塩士翁,文政の社号帳では大己貴命とする。創立は崇神天皇の時代と伝え,中世に柴垣【しばがき】の芝原将監の崇信を受けたといわれるが詳細は不明。眉丈山麓の3か寺はすべて真宗大谷派で,玉照寺は真言僧で蓮如に帰依した玄知が吉崎に建立した一寺を,延宝5年に当村へ移転(県寺院明細帳)。文明7年に行証開基の浄証寺や専修寺がある。明治5年石川県に所属。同22年越路野【こしじの】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7326191