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輪島町(近世)


 江戸期~明治22年の町名。鳳至郡のうち。加賀藩領。寛文10年村御印の村高823石,免8ツ8歩,山役740匁・鍛冶役342匁・索麺役260匁・紺屋役315匁・室役270匁・網役20匁・外海船櫂役1貫473匁5分・猟船櫂役232匁5分,七つ嶋・舳倉島海士運上559匁,油役40匁・鳥役1匁・地国并他国入猟役48匁。安政5年の村高809石余。「能登志徴」によれば「輪島」は総称名で鳳至町・河井町・輪島崎町・海士町の4町から成り,家数約1,500で,所口(現七尾市)に次ぐ繁盛の地とされている。規模・職業構成は町並みであるが,江戸期は,村として取り扱われ「村御印」も下付された。肝煎は2名,組合頭は10名,近世中期ごろまで郡奉行が在住し,塩代官3名・山廻役1名(能登名跡志)。また,町夫が割り当てられており,明暦元年では750人。代銀として寛政期に375匁が支払われている。享保21年の戸数614,天明2年795,安政5年1,807。同年15~60歳の人口4,159。産物は輪島鍛冶・輪島素麺・堅地漆器・熨斗鮑・海草類。特に良質の御用素麺は白毛素麺と呼ばれ藩へ買い上げられた。輪島の鍛冶屋は,天正10年正月21日付の前田利家印判状(能登国古文書)によって認められているので,「御印鍛冶」と格付けされたものであり鳳至町のみに元和6年では12軒あった。万治年間に新鍛冶が48軒でき,しだいに平鍛冶が激増してくるが,近世後期になると他国製品の流入により次第に不振となった。現在では鬼政・鬼定・鬼平・成政などの苗字に名残が見られる。素麺は中世起源のものらしいが,天正15年の前田利家御印により,楽座が廃止されたことで製造・販売が解放され,近世に入って最盛期を迎えた。元禄4年には原料としての小麦消費量は1,309石余であった。藩に買い上げられた良質の白毛素麺の天明4年分を見ると中身3貫目入りの籠77籠5包を送り,その代米63石6斗が輪島蔵米のうち広江村清左衛門の代官米をもって支払われている。文化期の鳳至町素麺家70軒余。幕末期には新興競争相手の出現や原料入手困難から次第に衰退した。漆器生産では,天明7年に塗師屋64,文化2年になると98と増加した。鳳至町だけでも文化7年塗師屋11・塗師職人35から天保14年では塗師屋28,塗師職人79と盛況を呈した。天保14年の鳳至町をみると塗師商売29・塗師職人77・塗師弟子2・塗物商内2・漆仲買5・木地商売22・形ハツリ10・木地綱引5・曲物師1・指物師14・指物職人4・蒔絵師2・沈金2・地ノ粉拵1であり,鳳至町総軒数の約32%が漆器関係者であった。幕末には素麺に代わり輪島第一の産業としての地位を固めた。また湊は,中世以来「小屋湊」「親の湊」として栄え,北前船が出入りした。代表的な豪商として久保屋喜兵衛家がある。安政5年の主な輸入品は,越後から米・麦・大豆・茶,大坂から綿・砂糖,但馬の砥石,敦賀の石灰・越前鎌・漆,松前から身欠にしん・かずの子など。輸出品は,周辺農村からのあて木呂・粟あて小羽・松杉板・石・炭,また塗物約6,700櫃・素麺約1万1,100箇・柚干約4,000。市場では,宝永2年,すでに49の市があり,河井・鳳至両町交代で立てられた。場所は本町と住吉神社前。天保4年津波が襲来し,4か所総家数1,459のうち損家372。そのうち207が全壊流失,溺死29・行方不明18。河井・鳳至両町は,元来独立村であったため対抗意識が強く,持海・藩役人出張の際の負担,お斎市・町名書上などでしばしば紛争を引き起こした。なかでも神社公事が原因で騒擾事件となった文政8年の「中杉屋騒動」は有名。また,天明3年米価高騰から河井町の角屋手三兵衛,鳳至町の中上屋伝兵衛宅など豪商8人が打毀しに遭い,容疑者60余人が検挙され,うち42人が投獄のまま大半が牢死,豪商も入牢という事件が発生。安政5年には「三州大一揆」の1つとされる河井町打毀しが発生し,肝煎米屋万右衛門・組合頭山形屋兵右衛門をはじめ,米屋市郎兵衛らも襲撃され,首謀者3名が処刑された。嘉永3年河井長手浜に御台場,文久3年河井矢田ケ谷に火薬蔵を築蔵(輪島市)。明治4年,輪島崎村を編入し,河合町・海士町とともに新たに輪島町となる。同5年石川県に所属。同年輪島郵便局設置。明治3年第四警察出張所を設置,同10年輪島警察署と改称。同年輪島区裁判所設置,同10年輪島裁判所となる。男子の学校として,明治6年住吉神社内に輪島小学校を設置。同10年の教員数9・生徒数379。同20年高等科輪島小学校,同35年には輪島男児尋常高等小学校と改称。女子の学校としては,明治9年鳳至小学校を設置。同10年の教員数5・生徒283。同13年輪島小学師範学校開設。明治12年コレラが流行し,同14年に県立金沢病院輪島分病院を開設。明治22年市制町村制施行後も1町として存続。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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