100辞書・辞典一括検索

JLogos

36

市波村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。越前国足羽郡のうち。福井藩領。本向寺の門前集落として発展。幕末には天王村(現福井市)の大庄屋加藤与作の組下にあった。村高は,「正保郷帳」744石余うち田方422石余・畑方322石余,「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに744石余。延宝5年の御蔵入御物成納方書目録(上田家文書)では,年貢率は3割7分,夫米37石2斗4升6合・雪垣代銀37匁2分5厘・山手銀225匁2分9厘・川役銀17匁6分・糠149俵・藁447束であった。寛政元年の氏神寺高免斗代家数人馬改帳(同前)によれば,上田7町3反1畝15歩(1石8斗代)・中田13町8反3畝21歩(1石6斗代)・下田7町5反(1石4斗代)・下々田2町3反6畝6歩(1石代)・上畑2町6反5畝(1石5斗代)・中畑1町5反3畝15歩(1石5斗代)・下畑13町8反22歩(3斗代)・屋敷9反4畝12歩(1石6斗代)であり,年貢率1割9分,家数36(高持25・雑家11)・人数125(男75・女50),馬5,村幅2町25間,氏神は壱ノ宮・二ノ宮,寺院は一向宗本向寺・塔頭2か所とある。「名蹟考」には「三ケ居二分居」とある。本向寺過去帳によれば,天明の飢饉時の死者数は天明2年49・同3年43・同4年279・同5年148・同6年37であり,同じく天保の飢饉では天保4年82・同5年132・同6年90・同7年233・同8年734・同9年36である。浄土真宗本願寺派本向寺は,源頼朝の家臣大須賀四郎が親鸞の弟子となり本光坊明空と称し,当地に創建したという。5代了恵は文明6年3月吉崎御坊火災の際に,蓮如愛用の経典を自分の腹を切りその中に押込み焼死した(腹籠りの聖教)。建立後は各地に移転することもあったが,現在地には天正10年寺地の寄進をうけ移転。歴代福井藩主の川狩の際の御休所ともなり,12代祐忍のとき5代藩主松平昌親の危難を救ったため賞として殺生禁断の制札・墨付を与えられた(美山町史)。明治4年福井県,以降足羽県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」では村域は東西2町40間・上南北37間・下南北17間,戸数72・人口419(男215・女204),馬19・牛1,田20町7反余・畑5町,物産には繭・桑葉・菜種・薪・楮・苧綛があった。明治6年4月本向寺を借用し市波小学校設置,同10年計石村の浄蓮寺に移転,同13年高田小学校(現下宇坂小学校)を合併(同前)。同15年大久保村から郵便局が移転,市波郵便局となる(足羽郡誌)。同22年下宇坂村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7329349