今立郡

慶長5年結城秀康が入封して福井藩領となる。寛文4年郡名が復活した。慶長国絵図で今南東郡39村1万4,910石余,今南西郡28村3万2,075石余,今北東郡27村3万5,776石余。寛永11年徳川家光領知判物は今南東郡1万5,026石,今南西郡3万9,785石余,今北東郡3万5,752石余,計9万564石余。「正保郷帳」によると,今南東郡分が小畠・東角間・持越・東俣・部子・菅生・定方・大本・西角間・火坪・魚見・金見谷・柿ケ原・定友・鞍谷・荒谷・檜尾谷・野尻・清水谷・広瀬・谷口・安善寺・水海・藪田・寺谷・山田・池田・印内・寺島・市・土合木谷・志津原・河内・荒谷・板垣・余川・新町・五分市・北小山・南尾山・新・坂下・八石・中印・別印・長五太平・轟井・野岡山室・島・杉尾・大滝・岩本・不老・新在家・金屋・樫尾・粟田部・中津山・杉谷・常安・月ケ瀬・新保の63村1万5,215石余で,現在の今立町と池田町あたり,今南西郡分が萱谷・稲寄・上真柄・長土呂・下真柄・押田・大手・帆山・西谷・矢舟・岩内・畑・杉崎・清水頭・小野谷・大屋・葛岡・庄・千僧供・荒谷・北・平林・下新庄・矢放・中新庄・西袋・上新庄・宮谷・高木・野大坪・五郎丸・瓜生・上大坪・定次・横越・長泉寺・文室・村国・西鯖江・上鯖江・東鯖江・馬上免の42村3万3,774石余で,今の武生【たけふ】市と鯖江市の一部,今北東郡(佐子郷帳では丹生東郡)分が北野・北黒町・水落・鳥羽・中・田所・上河端・下河端・中野・大正寺・河和田河内・南井・大野・春山・四方谷・橋立・別所・吉谷・舟枝・河島・松成・新堂・落井・赤坂・庄境・乙坂・磯部・戸口上・戸口中・戸口下・朽飯・中・寺中・尾花・清水町・河内・小坂・片山・莇生田・西袋・金谷・別司・高木・藤木・長谷・水間・領家・横住・新・寺地・三領・島の52村3万5,784石余で,鯖江市の一部で,すべて福井藩領。なお粟田部村に粟性寺領10石,水落村に神明社領50石があった。正保2年から享保6年まで3村3,704石余が松岡藩領となる。福井藩領は貞享の半知によって44村2万9,501石余となるが,松岡藩を合わせたあとは50村3万3,205石余とされて廃藩置県に至る。貞享の半知によって成立した115村5万2,200石余の幕府領は諸藩領に分割され,元禄4年大坂城代になった土岐頼殷領が陣屋を置いた野岡村のほか,山室・北中津山・南中津山・砂畑・戸谷・長尾・三ツ屋・葛岡・大屋・畑・小野谷・西谷・荒谷・平林・庄田・杉崎・岩内・大手・下真柄・上真柄・金屋・萱谷・余川・檜尾谷・蓑脇・中居・入谷・杉尾・轟井・長五・大平・八石・中印・別印・坂下・長谷・室谷・水間坂下・殿・大谷・印内・赤谷・炭焼・柳・市野々・藤木・朽飯・領家・春山・波垣・服部樫尾・寺地・新・横住・清根・相木・服部河内・莇生田・片山・清水町・清水谷・寺谷・柿ケ原・広瀬・山田・池田・板垣・定方・西角間・菅生・魚見・新保・東俣・杉谷・東角間・上荒谷・市・寺島・常安・土合・木谷・皿尾・割谷・池田河内・志津原・月ケ瀬・稲荷・藪田・安善寺・谷口・野尻・持越・小畠・下荒谷・金見谷・河内(幕府領と相給)・沢・大本の99村約2万7,000石(元禄郷帳)が正徳2年まで,旗本金森氏領に宝暦9年から大手・西尾・上大坪・萱谷の4村1,086石余があり,そのほか鯖江藩領や小浜藩領もあった。産業は,岩本・大滝・定友・不老【おいず】・新在家(いずれも福井藩)のいわゆる五箇の製紙が最も著名で,幕末には粟田部で蚊帳がつくられ,また郡内各地から漆掻に関東方面まで出かける者が多く,持ち帰った漆は片山塗に用いられた。「元禄郷帳」で201村8万5,667石余,「天保郷帳」では202村8万6,200石余とするが,「名蹟考」に見える貞享2年までの開発高1,017石余などが加えられたとみられる。「旧高旧領」は192村8万5,575石余。村高を「正保郷帳」でみると,1,000石以上29村,500石以上27村,100石以上81村,100石未満19村。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7329490 |