100辞書・辞典一括検索

JLogos

47

富島村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。越前国大野郡のうち。「正保郷帳」では鶴ケ沢村とあり,「元禄郷帳」では「古ハ鶴ケ沢村」と肩書きされている。しかし,寛永4年の桐用水引水取極証文(林家文書)には富島村の名が見えるのに対し,貞享2年の「越前地理指南」では鶴ケ沢村とあり,当村の呼称が定着するのは17世紀末の頃と思われる。留島村・飛島村とも書いた(林家文書)。枝村は,「名蹟考」に西新明・新田出と見える。西新明は村の北部にあたる地域で寛永14年銘の親鸞絵像(南専寺文書)に「越前国大野郡富田庄西心明村常住物」と見え,また宝永3年の土打村用水出入裁許絵図(土打区有文書)にも確認できる。また新田出は江戸後期には当村から分村するが,福井藩は一貫して当村の一部として扱っている。村の小字に二月田,三月田があるが,これは南専寺の二月講,三月講の共有地であった。はじめ福井藩領,寛永元年木本【このもと】藩領,同12年幕府領福井藩預り地,同14年福井藩領,正保2年松岡藩領,享保6年からは福井藩領。村高は,「正保郷帳」825石余うち田方775石余・畑方50石,「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」「旧高旧領」いずれも825石余。安政4年の家数54(高持33・雑家20・寺1)・人数272(松原家文書)。神社は白山神社(西新明には鎮守として神明神社があったが,のち明治42年に合祀された)。寺院は真宗大谷派南専寺。明治4年福井県,以降足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」によれば,戸数60・人口277,馬30,物産は菜種・煙草・繭。明治5年南専寺の境内に私塾が開かれ,当村ほか15か村の児童が通学した。同10年には当村と新田村の児童が通学する帰厚小学校が設立されたが,同19年上野村の郁文小学校に合併された(大野郡誌)。同22年富田村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7332826