中島村(近世)

江戸期~明治22年の村名。大野郡のうち。「名蹟考」に枝村として「角平」の名がある。はじめ福井藩領。寛永元年からは大野藩領。村高は,「正保郷帳」12石すべて畑方,「名蹟考」「天保郷帳」ともに12石,「旧高旧領」28石余。天和2年の郷村高帳(大野市史)によれば,夫代銀38匁5分・曽木役銀24匁・山手米1石3升・夫綿2貫259匁4分・役紙49帖14枚。文政6年の高持29・水呑50,人数439(越前宗門帳)。大庄屋は若山秋俊家で,西谷9か村と穴馬谷の上大納村・下大納村・持穴村・箱ケ瀬村を支配した。元治元年12月,水戸浪士武田耕雲斎一行の西谷通過に際し,これをはばもうとする大野藩は西谷各村を焼き払った。当村も同月4日夜火がかけられ全焼した。大雲谷に小さい鉱山がいくつかあり,銀・銅・鉛を産出。勢柄谷鉱山銀6貫余・銅1,597貫余,大雲谷鉱山銀188文目・銅75貫余・鉛16貫余とある。氏神春日神社には鹿に乗る神像が安置されている。専光寺は明細帳によると慶長14年の創立,鯖江誠照寺末。明治4年大野県,以降福井県,足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」には戸数98・人口550,馬2,田畑5町1反,ほかに7反,物産として繭200貫・帳紙30束,楮・黄蓮・オウバク・蓬など。明治8年民家を借用して小学校設置,当村と黒当戸【くろつど】村・上笹又村・下笹又村の各戸は四季ごとに9銭4厘を醵出,同10年2階建校舎新築。明治17年福井郵便局管下郵便取扱所設置,同19年中島郵便局となり,のち同43年西谷郵便局となる。明治20年西谷駐在所設置。同22年西谷村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7332933 |




