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長田(中世)


室町期から見える地名若狭国遠敷【おにゆう】郡のうち応永28年11月19日の幸阿如法経米寄進札銘によれば,「〈長田〉願主幸阿」が明通寺へ如法経米10石を寄進している(小浜市史金石文編)また,正長2年6月の若狭太良荘地頭方田数百姓名寄帳(東寺文書3/大日古)に,馬上免畠地子を負担した「〈長田〉右近入道」が見えるこれらの地名は,文永6年11月5日の恒枝保内太良荘押領田地坪付注進案(東寺百合文書ゑ)に見える恒枝保内にあった太良荘田「長田」「永田」という地字と同一のものであろうか年代は下るが,天文8年12月24日のりうせん(竜前)小次郎大夫田地売券に「在所遠敷長田之下横田森下也」,同日付の同人寄進状に「長田之横田下也」とも見える(西福寺文書/小浜市史社寺文書編)なお,太良荘の開発領主丹生二郎隆清の父師季は「長田下野守平朝臣師季」と称され(東寺百合文書ア),また,この隆清の遠縁にあたる平時信は,若狭国鎮守一二宮社務代々系図(若狭彦神社文書/小浜市史社寺文書編)に「平大納言時忠卿従兄弟下野守師季之孫永田太郎時信」とあり,長田(永田)を名字地とする平師季流があったこれが当地と同じものとすると,当地名は平安期にさかのぼる可能性がある現在上中町野木の玉置地内に上長田・下長田の小地名があるが,関係あるか




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7332948