上穂村(近世)

江戸期~明治8年の村名。伊那郡のうち。はじめ幕府領,のち旗本遠山氏領になったが,元和5年幕府領千村氏預所となり,旗本近藤氏に913石余が割かれた。ほかに光前寺朱印地30石もある。村高は,「天正高帳」で上穂領として1,079石余,「正保書上」も同高。寺領を含み,「元禄郷帳」1,103石余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも1,215石余。榑木成村の一つ。文政3年の戸数279・人数1,206(赤須町文書)。伊那街道宿駅の一つ上穂宿が置かれ,街道東側の赤須宿との合宿で赤須上穂宿とも呼ばれた。上穂商人は仲買商として活躍した。近在で生産される生糸・煙草・葉藍などを買占めて京都・岐阜,さらには横浜に進出した商人たちの姿は「大沼日記」(駒ケ根市誌編さん紀要4)に活写されている。寺院は,天台宗の名刹光前寺,日蓮宗大法寺,浄土宗安性寺,宿近くに浄土宗安楽寺がある。鎮守は五十鈴社。明治2年伊那県,同4年筑摩県に所属。明治8年の戸数405・人数2,116(駒ケ根市誌)。同年赤穂村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7338234 |