100辞書・辞典一括検索

JLogos

33

大岡荘(中世)


 平安末期から見える荘園名。駿河国駿東【すんとう】郡のうち。はじめ大岡牧ともいい,「日本逸史」天長8年9月11日条に見える大野牧,「延喜式」兵部省に見える岡野牧の後身と推定されている。寿永3年4月5日の源頼朝下文案に,池大納言(平頼盛)家領として見える(久我文書/平遺4151)。平家滅亡後,平家没官領として一旦源頼朝の支配下にはいったが,さきの下文により平頼盛に返却された。平頼盛は当荘の領家職を有し,本家職は後白河院が保持していた。なお,北条時政の後妻牧氏は当地の出身で,「愚管抄」によると,牧氏の兄弟に大岡判官時親がおり,父宗親は多年平頼盛に仕えて大岡牧を知行したという。ついで,後白河院が諸国の諸荘園における年貢未進・地頭非法などについて源頼朝に沙汰を依頼した文治4年5月12日付の左中弁藤原定長奉書に見え,これによれば,この時当牧の地頭は北条時政であったらしい(吾妻鏡文治4年6月4日条)。なお,鎌倉期には,「高山寺文書」の建保3年4月25日付大岡牧年貢進文にも大岡牧が見え「山御年貢布」を運上しているが,この大岡牧が当地と同一かどうかは未詳。また,弘安11年初春22日の奥書のある日枝神社(現沼津市三枚橋町所在)所蔵の「山王霊験絵巻」には,当荘が関白藤原師通領であったとみえるが(大日料3-5),疑問である。鎌倉後期には北条氏が当荘地頭職を保持しており,元弘3年,鎌倉幕府とともに北条氏が滅亡すると,北条泰家の持っていた当荘地頭職は没官地とされ,同年7月19日,飛騨国守護に任ぜられた岩松経家に,後醍醐天皇綸旨をもって充行われた(集古文書/大日料6-1)。南北朝期には,当荘内の牧御堂・岡宮浅間宮および大幡寺の別当職が,応安4年6月29日鶴岡八幡宮執行頼恵から跡を襲った法印頼印に譲与され,同6年10月29日に室町幕府執事細川頼之奉書によって安堵されている(尊経閣古文書纂/大日料6-38)。しかし,これらの別当職は後に闕所となり,応永21年7月28日足利満詮御判御教書によって京都の醍醐寺地蔵院持円の知行するところとなった(前田家所蔵文書/大日料7-20)。下って戦国期には,天文3年2月21日に今川氏輝が当荘の惣社山王日吉社(現沼津市三枚橋町)の神領8町8反を安堵し,同年12月2日には今川氏の重臣葛山氏広も当神領に対する葛山氏被官人の所務が課されるように約している(日枝神社文書/県史料1)。この後,義元・氏真など代々の今川氏もこれを安堵しているが,永禄11年に武田信玄の南進によって氏真が府中から追放されるや,12月20日付で北条氏政の安堵判物が出されており(同前),当荘域の支配の空白を一時,埋めた。今川義元は天文5年11月2日,当荘の岡宮浅間宮(現沼津市大字岡宮【おかのみや】所在)に修理田・修正免田などの給免田4町7反を寄進安堵している(岡宮浅間神社文書/県史料1)。また,天文20年9月21日義元判物・永禄8年3月5日氏真判物・同年4月15日葛山氏元判物などによれば,今川氏と家臣葛山氏は当荘の桃園定輪寺(現裾野市大字桃園所在)に対しても寺領田畠の安堵,諸役の免除など,手厚い保護を加えている(定輪寺文書/県史料1)。今川氏が当荘を重要視した原因の1つは,大岡荘上下商人道者問屋(現沼津市三枚橋付近)の存在である。これは鎌倉期に東海道の要衝であった車返の里の後身で,天文3年7月3日今川氏輝判物・永禄11年9月今川氏真判物によって被官山中源三郎が問屋の管理に当たった(沼津駅家文書/県史料1)。今川氏が没落した元亀年間以降は武田氏が当荘域を支配し,天正5年8月7日には武田勝頼が家臣の原半左衛門同心衆に当荘内の6貫30文の知行地を与えているほか(工藤文書/信濃史料14),元亀3年8月21日付土屋昌続(武田氏家臣)書状によれば,大岡荘問屋も山中氏から高田能登守の手に移されて,武田氏の支配下に入っており(沼津駅家文書/県史料1)。元亀3年8月5日武田氏朱印状や天正7年2月6日同朱印状では桃園定輪寺の寺領や住持職の安堵にも武田氏が関与するに至っている(定輪寺文書/県史料1)。その後,天正10年3月,織田信長が武田勝頼を滅ぼし,徳川家康が駿河一国の支配を握ると,当荘も家康の支配下となり,天正10年3月25日大久保忠佐判物によって山中新三郎に大岡荘上下問屋と関所の管理権が与えられたのをはじめ(沼津駅家文書/県史料1),天正11年9月21日には岡宮浅間宮の職役田が家康に安堵され(岡宮浅間神社文書/県史料1),翌12年2月12日には三枚橋蓮光寺(現沼津市三枚橋町)に松平康次から荘内15石の地が寄進されている(蓮光寺文書/県史料1)。上引の史料に見える当荘内の地名などによって推測される当荘の荘域は現在の沼津市市街地と大字岡宮から裾野市大字桃園に至る愛鷹山南西麓一帯,黄瀬川西岸に比定される。「静岡県駿東郡誌」では明治22年成立した金岡村を金持・大岡両荘名に由来するものとし,大岡村と金岡村の大字西熊堂・東熊堂・岡宮・岡一色を当荘に属するものとしている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7348421