塩原新田(近世)

江戸後期~明治22年の村名。遠江【とおとうみ】国城東【きとう】(城飼【きこう】)郡のうち。横須賀藩領。元和3年頃の開墾と伝えられ,もと合戸村の枝村であった。本村の合戸村と境界などをめぐってたびたび紛争をくり返したが,嘉永7年に和解が成立したという。この頃合戸村から分村したものと思われ,「郷里雑記」は当村について,「合戸村ノ内ニテ今ハ別ノ新田トナレリ」と記している。「旧高旧領」でも「合戸村ノ内」として見え,村高は167石余。幕末に英国軍艦が来航し,その乗員が当地内の唐人山に登り付近を測量したという。唐人山には山住神社がある。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治22年池新田村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7350254 |