下長尾村(近世)

江戸期~明治22年の村名。榛原郡のうち。幕府領。村高は,「元禄高帳」529石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに543石余。元治元年の家数157・人数890(中野家文書/中川根町史資料編)。宝永元年近隣22か村とともに大井川の通船赦免を嘆願したが,島田・金谷両宿の反対により実現しなかった(上長尾河村家文書)。天保13年東海道岡部宿の助郷村に指定されたが,免除の嘆願をした(青部松岡家文書)。慶長年間以前より茶を栽培すると伝える。「遠淡海地志」では戸数100,小地名に瀬沢・平谷・ワラ山・高午山・久保・瀬戸・ヨシミ・ムキシロがある。また馬を産すとある。「風土記伝」によれば寺社に曹洞宗昌林寺・万松庵・神宗庵・八幡社・天王社・権現社がある。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治3年大井川の通船が許可される。明治22年中川根村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7350516 |