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海西郡


慶長5年関ケ原の戦のあと尾張を重視した徳川家康は,清須の福島正則,黒田の一柳直盛,犬山の石川貞清などを移封・除封し,武蔵忍城主松平忠吉を入封させ,これが尾張藩の起こりとなり,当郡は尾張藩領となった。同12年忠吉の死後徳川義直が甲斐府中城から入封し,実質的な尾張藩が成立した。天明年間の藩政改革により所付代官が設置され,「徇行記」によれば,当郡の鵜多須代官所支配の村々は新田村も含め52か村,佐屋代官所支配の村々は新田村も含め48か村となっている。「寛文覚書」によれば,村数76(うち新田村38),本田の元高1万2,078石余・概高1万4,190石余,新田の元高9,709石余・概高1万2,280石余・高1万2,989石余,寺社領は領高外17石余,車田は領高外53石余,船頭給は領高外37石余,反別は,本田が田726町余・畑444町余,新田が田1,273町余・畑503町余,寺社領が田1町余(領高外),車田(領高外)が田2町余・畑2町余,船頭給(領高外)が田畑3町余,見取場が田6町余・畑17町余(ほかに田畑4町余),給人自分起が田37町余・畑4町余,家数3,428・人数1万8,095,馬1,251・牛20。「徇行記」には,村数90,元高2万1,565石余・高4万3,146石余。「天保郷帳」では,村数91,高2万8,835石余。「旧高旧領」では,村数98,高4万4,587石余(うち社寺17石余・犬山藩領分391石余・尾張藩領分4万4,179石余)。「天保郷帳」に見える村名は,西保村・東保村・西条村・東条村・本部田村・又八新田村・佐古木新田村・鮫ケ地新田村・子宝新田村・馬ケ地新田村・上押萩新田村・下押萩新田村・竹田新田村・東蜆新田村・西蜆新田村・坂中地新田村・鳥ケ地新田村・鳥ケ地前新田村・大宝新田村・狐地新田村・芝井新田村・鎌島新田村・森津新田村・六条新田村・平島新田村・前ケ須新田村・鯏浦村・五之三村・荷之上村・船頭平村・大森村・下古川村・上古川村・山路村・雀ケ森村・石田村・高田村・宮地村・篠塚村・西一色村・下一色村・早尾村・赤目村・立石村・江西村・元赤目村・古赤目村・二子村・鵜多須村・東川村・川北村・藤ケ瀬村・給父村・中島村・松山村・高畑村・下大牧村・塩田村・丁野村・戸倉村・葛木村・二老村・後江村・内大成村・外大成村・北条村・田尻村・小茂井村・小家村・和田村・上立田村・鯉ケ平村・冨安村・下立田村・松田村・福原新田村・領内草平新田村・鎌倉新田村・新右衛門新田村・脇野新田村・又右衛門新田村・四郎兵衛新田村・稲元新田村・稲吉新田村・与蔵山新田村・松名新田村・神戸新田村・寛延新田村・海屋新田村・梶島新田村・島名新田村。天明2年に鵜多須村に代官所が置かれ,天保年間には尾張国中島郡・海西郡・海東郡,美濃国中島郡・石津郡・安八郡・多芸郡・不破郡の154か村・高7万6,764石余を管轄していた。当郡は新田村が多く,中でも鬼頭景義の手になる新田村は16か村にものぼった。尾張藩が計画し商人などに請負わせた新田としては大宝前新田125町余・三稲新田40町余・政成新田104町余などがあげられる(県史2)。全域が輪中地帯の農村で,田畑の往来は舟を利用した。土地が海面より低かったため水害に見舞われることも多かった。米麦のほか,野菜・菜種・蚕糸・綿花・藍の生産などにも力を入れた。明治5年愛知県に所属。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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