富永(近代)

明治22年~昭和30年の大字名。はじめ中郷村,明治39年からは矢作町の大字。大正4年の有租地36町余(田23町余・畑9町余・宅地8,918坪など)。大正5年の米作25町余・590石,麦作3町余・45石,養蚕業は春秋蚕23戸(全戸39)・収繭887貫・収入4,785円(矢作町誌草稿本)。昭和13年の世帯数35・人口172。同30年岡崎市富永町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7359237 |
100辞書・辞典一括検索

明治22年~昭和30年の大字名。はじめ中郷村,明治39年からは矢作町の大字。大正4年の有租地36町余(田23町余・畑9町余・宅地8,918坪など)。大正5年の米作25町余・590石,麦作3町余・45石,養蚕業は春秋蚕23戸(全戸39)・収繭887貫・収入4,785円(矢作町誌草稿本)。昭和13年の世帯数35・人口172。同30年岡崎市富永町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7359237 |