板屋村(近世)

江戸期~明治22年の村名。紀伊国牟婁【むろ】郡のうち。紀州藩領。入鹿【いるか】組に所属。村高は,「慶長高目録」195石余,「天保郷帳」「旧高旧領」237石余。慶長19年,大坂方に呼応して挙兵した熊野北山一揆に関係し,処分を受けているが(紀伊国一揆成敗村数覚書),板屋の又兵衛は代官山内七左兵衛門を助けた功で米10石を与えられた。小栗須【こぐるす】村慈雲寺の末,曹洞宗南照山宝泉寺(明治20年廃寺)があり,ほか小祠2社があった。氏神は小栗須村の入鹿八幡宮(紀伊続風土記)。安政年間の知行替騒動で交換予定地となったが,農民の反対のために実現しなかった。芝金兵衛とその子甚兵衛が私塾を開き,天保年間から習字・算盤・漢文を教授した(南牟婁郡誌)。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同12年南牟婁郡に属す。明治9年大栗須村・小栗須村との連合で,入鹿学校を大栗須村に設立。同22年入鹿村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7362893 |