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平尾(中世)


南北朝期から見える地名伊勢国飯高郡のうち平生とも書く当地には伊勢神宮領平生御厨(園)があり,「神鳳鈔」では内宮領と見えるが,「外宮神領目録」「神領給人引付」には外宮領として見え1石を上納しているまた,当地は中世の参宮街道の宿,平尾宿があり,応永10年10月,足利義満の参宮の時,国司北畠顕泰が当宿で饗応しており(吉田家日次記/大日料7‐6),文正元年,足利義政の参宮の時も北島氏は当宿で将軍と会見し,饗応している(親基日記)応仁の乱の際,足利義視が一時伊勢へ下向していたが,応仁2年,再び上洛するとき,当宿に泊まり北畠氏と会見したり,伊賀・伊勢の国人と面会したようである(応仁記・朽木文書等)その後,連歌師宗長なども当宿に泊まっているが,宿は,参宮街道の路筋が変化する天正年間まで繁栄したまた,港として発展をみせていたらしく桑名・楠(三重郡)とともに「本警固」(水上関)が設置されていた(氏経引付,文明14年)なお,「満済准后日記」永享3年8月19日条に「平尾庄」と見え,木造持康領で,当時北畠氏が押領しており,持康がその返還を要求している平尾宿は現在の松阪市町平尾付近に比定されるが,平尾宿は参宮街道の移動と松坂城下の整備で天正年間には現在の平尾町の場所に人々が移ったようであるまた,平生御厨(園),平尾荘は町平尾から大平尾の一帯に比定される




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7367309