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川口町(近世〜近代)


江戸期~昭和40年の町名・大字名滋賀郡のうち江戸期は俗にいう大津100か町の1つで,幕府領町名は加賀金沢藩ゆかりの川口弥蔵という荷問屋が居住していたことによる(大津市志)浜町通りの東今颪【ひがしいまおろし】町と桝屋【ますや】町の境から湖岸に向かう横町で中央の川口堀をはさんで東・西2か町があり,堀の中央には橋が架けられていた真宗本願寺派浄観寺以外は町屋で,川口堀に入荷した薪炭を扱う荷問屋が嘉永年間11軒あり,その他仲買人・船仲間が居住していた川口堀・今堀町付近に陸揚げされ京都に運ばれる薪炭は文化・天保の頃には年間平均1万3千駄あり,別に歩行人足7,000人分があった天保2年には湖岸に大浜会所(舟会所)が設けられた自治組織は桝屋【ますや】町組文政元年の幕府御用金には東川口町で50両・西川口町で150両負担した(大津市志)明治5年滋賀県に所属明治22年滋賀郡大津町成立に伴い大津町大字川口町,同31年市制施行に伴い大津市川口町となり,昭和40年浜大津2~3丁目の各一部となる大正年間,石坂線・江若鉄道が町中を横断し,戦後は堀も埋め立てられ児童公園になり昔の面影はなくなった




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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