100辞書・辞典一括検索

JLogos

31

江戸町(近世)


江戸期の町名伏見町のうち地方付27町の1つ豊後橋の東に位置し南から1~3丁目がある豊公伏見城ノ図によれば南北路の東側に南から泰石八兵衛屋敷,濠川を隔てて戸田大八・戸田三郎・本田上野介・大久保石見守屋敷があり,西側は前川源太・曽根勘六など屋敷地のほかはほとんどが空地となっている町名は徳川家康居城の江戸にちなむとも,家康の家臣と思われる江戸本庄の高井久之丞の領地として明治維新まで続いたことにちなむともいわれる(新市域各町誌)江戸期には武家屋敷は姿を消し,寛文10年山城国伏見街衢並近郊図では数戸の民家が描かれている当町には浄土宗竜源寺・保寿庵・慈眼庵・就徳庵・開元寺・宝円寺・普賢庵などがあり,江戸中期の開元寺の住職大鵬和尚は画師として知られた(伏見鑑)当地の農民は伏見城時代には城内の御花畑で栽培に従事し,江戸期に入っても家業として市井に販売していたのち堀内村に編入




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7374275