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小野原村(中世)


 南北朝期~室町期に見える村名。摂津国島下郡のうち。建武2年2月26日の頼全畠地寄進状(勝尾寺文書/箕面市史史料編2)に「合壱段者〈小野原村内妙算谷上池之北上西依也〉」とあるのが初見で,当村内の畠地を勝尾寺に寄進し,毎年加地子米1斗を寺納すると述べている。貞和5年11月日の鳥居造立条々注文(同前)には「一,散在賦紙袋米銭上帳事……三斗九升 郷本小野原両所」とあり,勝尾寺の鳥居造立に際して付近の土豪・農民から集められた紙袋米銭が当村内の勝尾寺領散在田畠にも賦課されて,3斗9升が徴収されたことが見える。またそのほかに馬引代銭1貫文も奉加されている。室町期のものと推定される勝尾寺田畠佐保・小野原知行分目録や同じく勝尾寺初後夜田地帳(同前)によると当村のうち,堂北・堂後・松イテ・仁取などに同寺領田畠があり,また石ツカ内に同寺初後夜田が存在していたことがわかる。なお康応元年12月27日の僧賢範名田寄進状(同前)によると当村にはサイク田が付属していることが見えるが,サイク田は細工田のことと推定され,近辺の木材の生産などを考えあわせると,当村内に何らかの特別な職人の存在をうかがわせる。応永8年7月日の勝尾寺衆徒等申状案(同前)によると当村住民たちが宿久荘荘官百姓と同心し,寺領内の山に乱入して山木を切り寺僧・山伏に乱暴を働いたことが見えている。比定地は現在の箕面【みのお】市小野原と茨木【いばらき】市小野原とにまたがる地域である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7382048