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大ケ塚(中世)


 戦国期に見える地名。河内国石川郡のうち。台塚・大河塚とも書く。元亀3年10月日の大伴道場宛の遊佐信教の禁制(円照寺文書/富田林市誌)に「諸式富田林・台塚並事」とあるのが初見。次いで天正元年11月22日の柴田勝家判物(顕証寺所蔵文書/大阪府史蹟名勝天然記念物1)に「当寺之事得御意相抱候条,陣執,放火大乱妨娘(ママ)藉以下令停止畢」とあって「大ケ塚寺内」にあてられている。なお,江戸期の成立になるものであるが,「大雅塚由来略記」(深尾義一氏所蔵古記録/河内石川村学術調査報告)によると,大永年中に根来寺の大河将監が居宅を構えたが,のち永禄年中の初めに根来寺の大将宗が城を築き,根来寺衆・隣郷の者などが当地に移り住んだ。その後,織田信長の勢力が河内に及んで,大ケ塚の城も敗れて大将などは根来寺へ帰ったが,村の者は大ケ塚を守ることにしたという。また,江戸末期に成立したと思われる「善念寺由緒」(顕証寺所蔵文書/同前)には,「本尊御画像御裏書 顕如上人様御印 元亀三年壬申七月二十八日 顕証寺門徒 河内国石川郡大ケ塚村惣道場物也」との写しが載せられている。後に善念寺の寺号を受ける大ケ塚惣道場は本願寺の一家衆寺院の顕証寺の末寺となり,寺内町として発展した。当地は寺内町として著名でありながら史料は極めて少ない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7384109