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田井荘(中世)


平安期~室町期に見える荘園名河内国丹北・八上・丹南郡のうち台井とも書いた主として石清水八幡領石清水八幡は延久4年9月5日の太政官牒(石清水文書1/大日古)によって,21か所の荘園を旧の如く領掌することを認められたが,その1つに丹北郡矢田荘があり,その墾田6町8反のうちに「田井里捌坪壱町」が見える石清水八幡の田井荘領掌の起原はここに由来するとみられる荘園としての初見は,保延3年4月日の検校光清別当任清連署譲状(同前)で,「相博庄田井」がほかの5荘とともに光清の娘美濃局に譲られているこのとき,これら6か荘の所当年貢の半分は宮寺用途に,あとの半分は光清建立の観音堂の費用にあてることが定められている仁安3年4月25日の官宣旨(同前)によれば,「石清水観音堂并所領庄園」はその後無品道恵親王から定慧に譲られており,ここでも「相博庄田井庄」と見えるこの場合,相博荘と田井荘とは別個のものでなく,田井荘が相博すなわち交換によって領有されるに至ったことを意味すると思われる元久2年12月日の別当道清処分状(同前)にも見え,宗清に譲られているが,「当時所被入置質券也」とあり,質入れされていたことがわかる鎌倉後期と推定される年月日不詳の足利氏所領奉行注文写(倉持文書/近代足利市史3)にも田井荘が見えるついで南北朝期の文和元年10月18日,高師秀宛の沙弥某施行状(石清水文書6/大日古)は田井荘地頭職を「去五月二日御寄進状」に任せて石清水八幡雑掌に打ち渡すよう命じているこの寄進状は足利義詮のもので,差出人沙弥は執事仁木頼章と思われ(松原市史3),石清水八幡宮は幕府から田井荘地頭職を寄進されているその後足利義詮は貞治元年11月2日に「田井荘〈道誓(畠山国清)跡〉」を大友氏時に宛行っている(大友文書/大日料6-24)が,これが当地をさすか,志紀郡かは不明また田井荘には金剛寺領もあった弘安9年7月日の田井荘大饗郷天野一切経田里坪付注進案(金剛寺文書/大日古)によれば,大饗郷内に本新坪付として隼人竈里21坪2反30歩,浮田里4坪5反があり,新々坪付として浮田里3坪300歩,同4坪2反60歩があった合計1町30歩の寺領である大饗郷は現在の美原【みはら】町大饗【おわい】の地と思われるこれらとは別に,当荘名は鎌倉期~室町期の売券などに多く見られるまず徳治2年の某売券(国立国会図書館所蔵文書/貴重書解題4)では,「田井御庄黒山郷川辺里卅一坪」のうちの畠1反大・田90歩が売買されているついで嘉慶3年2月の運性等売券(同前/貴重書解題6)では,「八上郡田井御庄野遠郷萩原里四坪」のうちの田2反が売られたこの田地は往古より真福寺(現美原町真福寺)の僧食料田であったが,前年の公方年貢等未進分の納入にあてるため売却されたこの田2反の四至は,東は他領,西は井溝,南は正福寺領,北は真福寺領とあり,真福寺と正福寺が田井荘内に所領を有していることを示す康応2年3月には同じく八上郡田井荘野遠郷萩原里6坪の田が,明徳元年7月には同郷の山川里26坪の田が売買されている(国立国会図書館所蔵文書/貴重書解題4)翌2年11月26日の臨阿契状(同前)では,高野山国城院坊主臨阿弥陀仏が,田井荘内の畠2反小(このうち30歩は溝田)を延命庵領の畠1反300歩(このうち茶園少しあり)と交換している応永2年2月21日,尼億一は田井荘野遠郷山川里27坪のうちの田3反を紹益庵主に売却している(長福寺文書/大日料7-2)この田は東は縄手,南は仟佰,北は昌福寺領,西は明空屋敷とそれぞれ境を接していた応永25年3月4日の清達寄進状(国立国会図書館所蔵文書/貴重書解題4)では「田井之内」1反の田が大中庵に寄進されているまた宝徳3年10月と翌享徳元年9月の広隆寺領松原荘年貢目録(広隆寺文書/松原市史3)では,広隆寺が田井荘から990文を収納している明応2年2月から閏4月にかけて足利義材・畠山政長らが高屋城の畠山基家を攻めたときの陣取りの様子を描いた明応二年御陣図(福智院家古文書)には,藤井寺の西方に「田井庄」と見える以上から,田井荘は丹北郡(田井里)および八上郡野遠郷(現堺市野遠町)・同郡大饗郷(現美原町大饗),丹南郡黒山郷(現美原町黒山)にまたがる荘園であったことがわかる「荘園志料」「府史」などは田井荘を松原市田井城付近に比定してるが,隣接する美原町にも黒山と大饗にはさまれた地に太井【たい】があることから,田井城・太井ともに田井荘に由来する地名と思われるなお嘉元4年6月12日昭慶門院御領目録(竹内文平所蔵文書/広島県史資料編5)に,安楽寿院領として河内国田井荘が見えるこれについて「府史」は松原市田井城に比定し,本所を八条院(安楽寿院),領家を石清水八幡宮とする見解をとるが,安楽寿院領田井荘の領家が石清水八幡宮であることを示す史料はなく,別個のものと考えられるところから(荘園志料・荘園分布図),安楽寿院領は志紀郡(現八尾【やお】市)の田井荘を指すものと思われる




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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