龍間村(近世)

江戸期~明治22年の村名。河内国讃良【ささら】郡のうち。幕府領および大和郡山藩領。ただし幕府領は,承応3年から寛文8年には京都所司代役知,寛政5年から天保11年には摂津高槻【たかつき】藩永井氏預り地。村高は,河内国輯録では169石余,うち幕府領45石余・郡山藩領123石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに211石余。村高211石余のうち幕府領56石余・郡山藩領154石余であった(全志4)。「五畿内志」には「龍間 属邑一」とある。鎮守は竜間神社・住吉神社。寺院は曹洞宗皓台寺末竜光寺・竜間寺,ほかに融通念仏宗(のち浄土宗)称迎寺。ある厳しい旱魃の夏に村人が近くの桜池にすむ竜に祈って降雨を得たが,その竜は身を3つに裂かれて天空から落ち,住民は竜の頭・胴・尾の落ちた所にそれぞれ竜光寺・竜間寺・竜尾寺を営んで竜の霊を弔ったという口碑がある(大東市史)。なお竜間寺は明治5年廃寺となった(全志4)。明治9年の人口376。同14年大阪府に所属。同22年四条村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7384319 |




