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東坂本村(近世)


 江戸期~明治8年の村名。飾西郡のうち。東坂元村とも書く。書写山(円教寺)領。村高は,「正保郷帳」では東坂本村書写山領と見え833石,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに833石。慶長5年池田輝政が東坂本500石を豊臣秀吉の先例により円教寺に寄進,同18年池田利隆も当村833石を安堵し,寛文5年先例により幕府は当村833石の朱印地を与えた。慶長6年検地を行い,「寺領飾西郡之内東坂元御検地帳」が残る。王子権現(現八王子神社)は円教寺の鎮守。女人堂であった如意輪寺のほか茂利寺,宝聚寺があった。山上円教寺は本堂如意輪堂・大講堂・常行堂・食堂・鐘楼・金剛堂・奥の院などの諸堂宇があり,また寺中には寿量院・十妙院・妙覚院・仙岳院など30寺があったが,明治初年に多くが廃絶した。また,姫路藩主本多・榊原氏らの墓所もある。当地には大工が多く居住し,円教寺の諸堂や西播磨方面の同寺末寺の建築などに携わった。また,これらの大工は姫路城築城にも参加し,城下へ移住する者もあった。明治8年書写村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7395353