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椒浜村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。海部【あま】郡のうち。和歌山藩領御蔵所。加茂組に所属。村高は,慶長検地高目録では椒里村とともに椒村1,400石余とあり,「天保郷帳」776石余,「旧高旧領」778石余。「続風土記」によれば,田畑高776石余,家数171軒・人数824,小名は南村・上村・中野・脇木・北村・新田。当村には浦の初島と呼ばれる地ノ島・沖ノ島を含み,海岸線は砂浜が続き,漁業も盛んであった。そのため当浦は江戸初期から課役があり,慶長16年8月16日の加子米究帳(栗本家文書)では水主役数16・代納升高19石余,元和5年8月10日の加子米納申帳(同前)では水主役数13・納米10石余,また御領分加子米高帳(田中家文書)によれば江戸初期の水主米高21石余であった。村内北の山手の御殿山には,藩主の椒御殿があった。氏神は天神社。神社は恵比須社・廻神社・荘神社・弁財天社。寺院は古義真言宗西方寺・真言律宗極楽寺・浄土宗西山派心光寺。ほかに薬師堂1宇。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数200,男508・女475。同22年椒村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7406006