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六条院東村(近世)


 江戸期~明治10年の村名。備中国浅口郡のうち。元禄年間まで東六条院村と称した。もと六条院村の一部,寛永年間までに成立したと思われる。寛永9年岡山藩領,寛文12年からは鴨方藩領。村高は,備中古図,元禄年間の検地(浅口郡誌)とも268石余,「備中至宝記」では六条院を注記する東村と見え611石余,「天保郷帳」624石余,「旧高旧領」627石余。元禄14年の家数189,田畑32町1反余。百間開削水路は別名を刈畑の穴と称し,嘉永年間頃の開削といわれ,水路の南口は集落刈畑の野宮新田,北口は後谷で,蓮大寺池から直線的に用水を供給するようにしたもの。長さは74間,水口は南北とも幅2尺5寸・高さ4尺の矩形である(六条院町誌)。鴨方県,深津県,小田県を経て,明治8年岡山県に所属。明治5年一貫小学設立。同10年六条院村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7420409