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東条郷(中世)


南北朝期に見える郷名安芸国賀茂郡東西条のうち正平13年12月8日の後村上天皇綸旨に「東条郷之内三永村事」とある(福成寺文書)西条郷の呼称が鎌倉期から見えることから,東条郷もその頃まで遡りうる東条の名の起こりは,西条盆地の条里制に由来し,その条里が東西に分かれていて東半分に相当することによるという「国郡志書出帳」に「東条郷寺町」と記された応永26年の神輿棟札があり,寺町つまり吉行・次郎丸・土与丸・助実は東条に属し,一方東村(西条東村)は西条の内とされるから,両者の間に東条と西条の境があったとみられ,条里遺構の観察とも合致する南北朝期から西条とあわせて東西条と呼ばれることが多いが,戦国期には西条と呼ばれることもある前記の三永村も,永禄年間と思われる6月26日の小早川隆景宛行状では「西条以三永之内五貫文宛行候」とされており,東条の呼称は消滅している(田坂文書)現在の東広島市域の旧西条町東南部あたりに比定される




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7422805