末武下(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ末武南村,昭和14年からは下松市の大字。末武南村役場が地内に置かれ村の中心となる。第2次大戦前の集落は西市・尾尻・藤光・平田であり,「大下松大観」では126の小字名を挙げている。西市とは下松の七星降臨伝説地の西という意味であり,また下松地域の西との意味でもある。西市は江戸期の往還道に接していないが,上関地方への交通上の重要地域でもあり,船付場などのあった地域である。明治24年の戸数407・人口1,942(男1,010・女932),厩5,寺院3,学校1,船30(徴発物件一覧)。下松地域は東の工場地域,西の塩田地域といわれたが,塩田廃止の跡地は工業地化が進んでいる。日本石油の貯蔵タンクのあったところは,日石広場として市民に利用されている。下松工業高校は大正8年設立された。西市沖には昭和48年徳山市・光市・下松市の3市共同の下松清掃工場ができた。その沖に同50年第2公共埠頭が作られた。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7425619 |