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樋山地村(近世)


 江戸期の村名。麻植【おえ】郡のうち。樋山路村とも見える。徳島藩領。「元禄郷帳」などに村名が記されるが,山を越えた同郡東山に属し,「阿波志」では東山の旧称を樋山路村とし,東山内の17名の1つに樋山路を記す。村高は,寛文4年の高辻帳,享保元年の高辻帳,天明7年の高辻帳および「天保郷帳」とも3石2斗。寛永2年に洲本の城代で家老稲田氏を頼って,伊予国の水軍河野氏の一族が阿波に来て,勝浦郡中田(現小松島市)に居住したが,のちに樋山地に入山して開拓を始めた。開墾のかたわら,道場を建てて,一族および近隣の在郷武士に武術を指南し,多数の門人を育てたといわれ,最盛期には50余人の門弟が通った。鎮守は2座あり,その1社は八幡神社で,その由来や創建年代は不詳。他の1社は石槌神社で,寛政年間に知恵島村の七条勝助や鴨島村の筒井民泰ら3人の者が,伊予国石槌神社の分神を勧請して祀ったのが創始という。同社社殿の裏山に鎖登りの行場があって,巨大な岩山に長さ50mの鎖が釣り下げられている。この鎖は東山の北地与兵衛が文政年間に奉納したものである。なお明治7年頃,麓の敷地村に小学校が開設され,当地の子弟は距離的にも近く,交通の便もあり敷地小学校へ通学した。以後現在まで通学区は不変である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7428562