鵜足郡

中世に見える当郡域の単位所領には,河津荘・二村荘(郷)・栗隈荘・土器保・井上郷などがあり,その他,中世史料には,宇多津・島田・富熊・法勲寺などの地名が見える。これら郡内の諸所領のみでなく中讃諸荘園の年貢積出港として鵜足郡の津,鵜足津(宇多津)が繁栄し,室町期には瀬戸内南岸随一の港津に発展していった。また,中世後期には宇多津に細川氏の守護所が置かれ,讃岐における政治・経済・文化の中心地として機能するようになった。室町後期から戦国期にかけては,細川氏の被官奈良氏が聖通寺城を基盤として当郡から那珂郡にまで及ぶ支配力をもったが,細川氏の衰退とともに奈良氏の勢力も衰えていった。戦国期の城跡としては,奈良氏の聖通寺城のほか,城主尾池玄蕃義長と伝える青野(ノ)山城,城主田村上野介親光と伝える栗隈城,豊臣秀吉の将小川伊勢守の築城と伝える法勲寺城等々が知られている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7429124 |