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藍島(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ板櫃村,大正11年板櫃町,同14年小倉市,昭和38年北九州市小倉区,同49年からは同市小倉北区の大字。明治22年の戸数17・人口168,地積は田1町・畑6町など計12町,小倉と島を結ぶ交通として大正12年に勝山丸が新造され,その後,関門丸・隼丸・小倉丸と改造され,昭和21年から小倉市営となった。島の漁業は海士による鮑漁から海鼠漁となり,昭和40年代前年はノリ養殖が全盛で,近年は漁船漁業が優位になっている。昭和33年の水揚量は,魚類92t・貝類117t,同45年魚類126t・貝類43t・ノリ10t,同50年魚類327t・貝類39t・ノリ14t(北九州市沿岸漁業調査報告書)。明治31年に板櫃尋常高等小学校の藍島分教場が開設,昭和35年小倉市立藍島小学校となる。同33年に公民館が開館し,同37年に漁業組合事務所が落成。同38年には本村と大泊の間にトンネルが開通。同43年には中学校分校が廃止されたため,島の生徒は小倉南区富士見地区にあるひびき寮に寄宿し,城南中学校に通学している。また島内には五社大神社と荒神社があるが,島民はいずれも蒲生八幡神社の氏子になっている。渡船で馬島まで15分,さらに30分で小倉北区の浅野地区に達し,通常2便,夏場には4便が就航。昭和55年の世帯数122・人口416。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7437868