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金隈(中世)


 南北朝期から見える地名。筑前国席田【むしろだ】郡のうち。観応2年10月日の島津氏久軍忠状写によれば,同年9月28日,鎮西管領の一色氏が少弐頼尚・足利直冬の拠点である大宰府原山を攻めた際,月隈で両軍が激突した。このとき,一色方に属した島津氏久らは月隈の南の金隈で戦い,若党数輩が討死し,氏久自身も負傷した(島津文書/南北朝遺3240)。このときの戦死者である伊集院・中条・本田・池上・伊地知の各氏に対しては翌観応3年4月25日付で足利尊氏より感状が発給されており,それぞれの子に対して一層の戦功をあげるよう呼びかけている(伊地知文書/南北朝遺3395~3399)。下って応仁元年10月28日の少弐教頼書下によれば,応仁・文明の乱にあたって東軍として挙兵した少弐教頼は対馬の宗氏と行動をともにし,宗孫次郎に対して席田郡内の牟賀付24町と金隈屋敷12ケ所を安堵している(歩行御判物帳/長崎県史史料編1)。また,戦国期に立花城主となった立花宗茂は,天正14年に島津氏の猛攻を受けながらも城を守りぬき,秀吉の西下の報で島津勢が撤収すると反撃に転じて高鳥居城(粕屋郡須恵町)を攻め落とした。同年8月28日の立花統虎(宗茂)書状によればそのとき,戦功のあった立花次郎兵衛に対しては,席田郡内の福光両免田と鐘隈(金隈)役職が与えられている(高橋記/博多史料7)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7439302