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松延村(近世)


 江戸期~明治9年の村名。山門郡のうち。柳川藩領。竹井組に属す。村高は,「元禄国絵図」972石余,「天保郷帳」996石余,「旧高旧領」1,209石余。明治5年の反別は72町5反余(郡郷/立花家文書)。天正15年立花宗茂家臣立花三郎右衛門が松延城城番となって知行1,000石を領し,慶長5年田中吉政家臣松野主馬が城番を務め1万2,000石を領す(旧柳川藩志)。城跡を示す本丸・二ノ丸・三ノ丸などの地名が残り,周辺には鍛冶町・扇子町・鎧町などの小名がある。万治3年分限帳によれば,村内に渡辺伝兵衛の知行143石がある。竹井組の大庄屋は樺島氏の世襲で,その役宅は当村にあり,敷地内には溜と呼ぶ犯罪者を拘禁する建物と非常時に備えて囲い籾を貯える土蔵が付設された(瀬高町誌)。大木・松延・本吉など9か村に対する郡役による法令伝達はこの役宅で行われた(柳河藩法令)。安政3年松延・北広田・草場・本吉で水喧嘩が起こる(旧柳河藩誌)。「筑後地鑑」に当村の人々は夏に布を晒して生計の助けとしているとあり,「南筑明覧」に名産として松延芹が挙げられている。村社の天満神社は寛弘2年の創建といい,永禄年間竜造寺氏の兵火で焼失,天正16年立花宗茂が再興した。真宗東派明浄寺は慶長13年僧西道の開基。大祥寺はもと曹洞宗二尊寺末派,明和8年臨済宗妙心寺派に改宗。ほかに浄土宗延命寺・同宗大聖寺があったが,のち廃寺。明治6年菁莪小学校が開設し,教員数は男2,生徒数は男30・女8(県史資料1)。明治9年松田村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7443295