100辞書・辞典一括検索

JLogos

35

殿所村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。日向国那珂郡のうち。飫肥【おび】藩領。飫肥郷に属す。村高は,慶長10年865石余(御検地古今目録/日向国史下),元禄11年「日向国覚書」でも865石余,寛保2年には1,146石余(同前),「天保郷帳」では865石余,「旧高旧領」では857石余。「御検地古今目録」(日向国史下)によれば,慶長10年の反別は田畑屋敷合わせて26町6反余,寛保2年には同じく58町2反余。「天保五甲午年宗門改人数高」(近世飫肥史稿)によると,西筋に属し,人数は395(男218・女177)。神社は村の中央に皇子権現があり,明治5年に皇子神社と改めた。また寺院は鳶カ嶺坂の東麓に浄土真宗浄念寺の末寺大蔵寺がある(日向地誌)。明治4年飫肥県,都城県を経て,同6年宮崎県,同9年鹿児島県,同16年からは宮崎県に所属。同17年南那珂郡に属す。「日向地誌」の著者平部嶠南が当村に調査に訪れたのは明治9年6月10日で,同書によれば,村の規模は東西約12町・南北約1里5町,東は松永村・東弁分村,西は板敷村・星倉村,南は平野村・平山村と接し,宮崎県庁からの里程は南へ約10里10町,地勢は「東西短ク南北長シ,西ハ中ノ尾ヲ負ヒ東南ハ東川ヲ帯ヒ,運輸不便トセス,薪秣ハ甚タ乏シ」と見え,地味は田の土質中ノ上,畑の土質上ノ下,麦・甘蔗の栽培に適し,水利はよいが水害も多いという。また,税地は田48町余・畑37町余・宅地7町余・切換畑2町余・山林3町余・芝地2町余などの計106町余,無税地は7畝余,官有地は山林2反余,貢租は地租金700円余・雑税金171円余の計872円余,戸数95(うち神社1・寺院1)・人数465(男237・女228),牛4・馬75,舟1,学校は本村の中央に人民共立小学校があり,生徒数は男50・女27。戸長役場は小学校の東隣にあった。民業は男女皆農業を営み,農間に工業に従事する者8戸,牛馬売買2戸がいた。物産は糶700石・櫨子150貫・楮皮2,000貫・煙草800斤・砂糖3万斤。さらに道路は鵜戸神宮往還が通り,用水は千阿弥溝・日高島溝・東迫溝・西迫溝があり,村内の水田を灌漑したと記される。明治21年の戸数89・人口485,反別は田46町余・畑44町余・宅地14町余・山林5町余・原野5町余・雑種地2町余の合計119町余,諸税および町村費の納入額は国税680円余,地方税248円余・町村費346円余・協議費136円余,村有財産には耕宅地6町余・原野2町余などがあった(郡行政/県古公文書)。明治22年東郷村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7460537