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鎌倉幕府の誕生は1192年ではない!?


鎌倉幕府の誕生は1192年ではない!?

◎幕府成立の年には諸説ある

 「鎌倉幕府ができたのは1192年」

 「イイクニつくろう鎌倉幕府」――一般常識として、右のように即答できる人も多いことだろう。しかし、常識はいったん疑ってみるべきだ。定説となっている1192年の幕府成立は、後白河法皇が死去した1192年に、源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任ぜられた事実をもとにしている。だが、この説は歴史家のあいだではいまや少数意見になっているのだ。

 鎌倉幕府は、12世紀の終わりに誕生した関東の鎌倉を拠点とする武士による軍事政権である。だが、いつ幕府が正式に成立したか、ということについては大きく6説あって、いまだ結論が出ていない。以下に、諸説を列挙してみよう。

①1180年説=源頼朝が鎌倉に侍所を設置し、南関東を支配する。
②1183年説=頼朝、朝廷から東国支配を承認される。
③1184年説=公文所[くもんじょ]・問注所[もんちゅうじょ]が設置され、幕府の機構が整う。
④1185年説=頼朝、守護・地頭の任免権を獲得する。
⑤1190年説=頼朝、右近衛[このえ]大将に任じられる。
⑥1192年説=頼朝、征夷大将軍に任じられる。

◎どの時点をもって政権誕生というのか

 そもそも幕府という語源は中国にある。出征中の将軍の陣営をいい、日本では近衛大将の居館を幕府と呼んだ。だが、先に述べたように、鎌倉幕府といえば、源頼朝によってつくられた軍事政権をさすのがふつうであり、政権の誕生という意味での幕府の成立を考えるなら、⑤、⑥説は適当ではない。

 ところで、鎌倉幕府の基盤である御家人(頼朝の臣従者)は、頼朝(将軍)と「御恩と奉公」というギブ・アンド・テイクの関係でつながっており、これを封建的主従制といった。

 御家人は、頼朝に対して軍役や経済的援助をになう代償として、守護・地頭[じとう]という地方役人に選任される。守護とは一国の軍事・警察権を任された職で、地頭とは国衙領[こくがりょう](公領)や荘園で、土地の管理や年貢の徴収・治安維持にあたる職である。

 頼朝が朝廷から全国の守護・地頭の任免権を獲得したのは1185年。すなわち、①、②、③説の段階では、幕府は単に東国の地方政権にすぎないが、御家人を諸国に守護や地頭として派遣可能となったことで、幕府の政治力は全国に及んだわけで、現在、④説を幕府の成立と考える見方が有力である。




日本実業出版社
「早わかり日本史」
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