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北海道には独自の歴史がある


北海道には独自の歴史がある

◎奈良・平安時代まで縄文文化があった

 現在の北海道という名称が誕生したのは、明治時代に入ってからのことで、それまでは蝦夷地[えぞち](島)と呼ばれていた。蝦夷地には、本州と同じように約1万年前に縄文文化が流入するが、その後、農耕は導入されず、ずっと狩猟採取の文化が続いた。これを続縄文時代と呼ぶ。

 さらに時代が下ると、同地はオホーツク文化の影響を強く受けるようになり、内面が摩滅され光沢をもつ擦文[さつもん]土器を特徴とする擦文文化(日本の奈良・平安時代)を開花させる。

 古来より蝦夷地には、アイヌが住んでいた。アイヌは、和人[わじん](日本人)と人種を異にするとされるが、どの人種に相当するかは確定されておらず、近年では和人と同一民族とする見解も有力になっている。

 なお、和人が蝦夷地に進出するのは鎌倉時代のことで、執権北条義時が東北の安東氏を蝦夷管領に任命したのがはじまりだった。進出の目的は、アイヌを服属させ、彼らが行なっている交易を管理し、その利益を奪うことにあった。やがて、安東氏の代官・蠣崎(松前)氏が戦国時代に蝦夷地を統一、交易権を独占し、江戸時代も引き続いてアイヌを管理した。もちろん松前藩の支配に対し、アイヌも黙って従っていたわけではなく、たびたび反乱を起こした。その最大のものが、1669年の「シャクシャインの乱」だ。

◎先住民シャクシャインの反乱

 染退[しぶちゃり](静内)の首長シャクシャインは、首長たちとの勢力抗争に勝って次々と周辺領土を制圧していったが、この状況を松前藩は見て見ぬふりをした。自信をつけたシャクシャインは、圧政をおこなう松前藩に対して蜂起し、松前の商船を奪取して出稼ぎの和人たちを殺害する。

 この行動にアイヌの多くが呼応、十数隻の船が襲われ、270人以上の和人が殺された。さらにシャクシャインは、大軍をおして松前(北海道福山)に攻めのぼる勢いを見せた。

 驚いた松前藩は、反乱を幕府へ通報、弘前藩と盛岡藩に応援を求めた。

 その後、松前氏はシャクシャインに講和を申し入れ、彼が現れたところを捕縛して討ち、乱を下火にして2年後ようやく鎮圧した。

 そして明治維新後、政府は蝦夷地を北海道として日本の領土の一部に編入したのである。




日本実業出版社
「早わかり日本史」
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