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![]() | 日奈久[九州地方] |
八竜山系南西部に位置し,八代(やつしろ)海(不知火海)に面する。東部には標高250m級の山地が連なり,その支脈が北西に走って海岸に達する。支脈間に長迫・塩鶴迫・湯の迫・馬越迫などの平地がある。「肥前国風土記」には「纏向の日代の宮に御宇しめしし大足彦の天皇,球磨贈於を誅ひて,筑紫の国を巡狩しし時,葦北の火流の浦より発船して,火の国に幸しき」とあるが,この火流の浦は当地に比定されている(風土記/古典大系)。なお,「事蹟通考」は「日奈久村は,中古,日奈久郷が之を治む。町に聚落有り,海浜に温泉ありて甃石(しきいし)を以て池となす。明暦二年三月,有司に命じて池上に大廈を建てしむ。日奈久或は,日南後,日奈子,日奈来と書いて皆久を古と訓む。肥前風土記に芦北火流浦と有り,日奈久浦なるべし」と記している。地内には,縄文貝塚をはじめ弥生遺跡や多くの古墳群があり,なかでも田の川内古墳は,重要な装飾古墳として注目されている。町発展の基盤である温泉については,応永年間に孝子浜田六郎左衛門が父の痼疾平癒を厳島明神に祈願し,神夢によって発見したと伝え,いわゆる孝感泉として知られる。また戦国期の田の川内・千代永の山城遺構もある。
【日奈久(中世)】 室町期から見える地名。
【日奈久村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【日奈久町(近世)】 江戸期〜明治22年の町名。
【日奈久村(近代)】 明治22〜35年の葦北郡の自治体名。
【日奈久町(近代)】 明治35年〜昭和30年の葦北郡の自治体名。
【日奈久村(近代)】 明治22年〜昭和30年の大字名。
【日奈久町(近代)】 明治22年〜昭和30年の大字名。
