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(近代)明治23年〜昭和30年の自治体名。はじめ豊田郡,明治32年からは三豊郡に所属。新田・原・池尻の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。南に標高342mの菩提山がそびえ,北にいくにつれて平地となる。西には標高92mの母神山があり,東部は小立岡の高地。地形は細長く,幅員は東西17町余・南北1里1町余。村内に川がなく,水の便が悪いので大小数十の溜池で灌漑している。明治24年の戸数650・人口3,601(男1,833・女1,768),寺3,学校1(徴発物件一覧)。同25年新小学校令実施とともに原にあった嬢東小学校校舎を修理して豊田小学校を新設する。同45年,組合立辻高等小学校を分離する際,高等科を併置し,豊田尋常小学校と改称。昭和22年高等科を廃止し,校内に新制中学校を併置する。同25年隣村との組合立三豊中学校ができる。大正元年農業補習学校を設立し,昭和22年廃止する。農作物は米・麦中心で副業として麦稈真田編み,稲藁を利用した塩叺,養蚕などがある。昭和17年に隣村の辻村・河内村との3村で河内村の逆瀬池を修築し,平常,河内川の不用の水を豊田村・辻村の溜池に導入する中部用水工事を起工し,昭和30年に完了した。交通,運搬は明治30年頃より双輪大車を用いるようになり,それに伴い明治26年以降道路の改修が行われ,幅6尺から幅7尺以上の村道となった。大正元年頃よりゴム巻車輪の人力車を使用するようになった。当村は古来より水利に恵まれず干天が続くと収穫は激減するため,地主と小作人の対立が多い。なかでも小立岡・池之尻・新田では大正期の初め,小作料減免を要求して小作争議が起こっている(豊田村史)。世帯数・人口は,大正9年594・2,948(男1,471・女1,477),昭和5年の人口3,107(男1,553・女1,554),同10年586・3,044,同25年689・3,701。同30年観音寺市の一部となり,村制時の3大字は同市の町名に継承。
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