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閉伊街道[東北地方]
角川日本地名大辞典

宮古街道ともいう。城下盛岡市鉈屋町地内で遠野街道(国道396号)から分岐して簗川(やながわ)村(現盛岡市)〜区界峠(標高751m)を越え,閉伊川水系に沿って東進し,門馬村(現川井村)・川井村・茂市村(現新里村)を経て宮古に至る100km余の往還。かつては2泊3日を要する行程であった。隆起準平原の北上山地内を通過するルートは平頂峰(平坦山頂)を活かしたため,道筋が幾重にも拓かれ,時代によっても変更されている。三陸沿岸の海産物と内陸の米・雑穀が行き交う重要な経済ルートで「五十集(いさば)の道」といわれ,また沿道住民からは塩の道,閉伊の鉄の道とも呼ばれた。盛岡から区界峠までは簗川の渓谷沿い,峠から東は閉伊川の渓谷沿いや尾根を伝う領内屈指の難所続きの道筋。江戸期の往来は普通2泊3日を要した。正保4年の「南部領道程記」は,盛岡〜簗川間3里半,簗川〜門馬間3里半,門馬〜茂市間7里半,茂市〜宮古間4里半の計19里を記している。正保4年の駅所は簗川・門馬・茂市・宮古,享保3年の駅所は,川内・箱石・川井・古田・茂市・蟇目に置かれる。天和年間の「邦内貢賦記」にみえる宮古街道の馬継所と距離は,盛岡〜簗川間4里12町14間,簗川〜田代間2里34町40間,田代〜門馬間2里1町,門馬〜平津戸間1里3町,平津戸〜川内間2里21町,川内〜箱石間2里26町50間,箱石〜川井間2里29町50間,川井〜古田間2里9町50間,古田〜腹帯間1里23町49間,腹帯〜茂市間1里18町26間,茂市〜蟇目間1里13町48間,蟇目〜花原市間30町1間,花原市〜根城間16町,根城〜田鎖間20町21間,田鎖〜千徳間23町,千徳〜宮古間18町15間(県史5)。文政13年写の「御国中賃銭割付」によると,宮古街道の各宿駅間の距離と駄賃銭は,盛岡〜簗川間4里12町,本荷(本馬)161文・無荷(軽尻)109文・人足79文,簗川〜田代間2里34町,本荷111文・無荷71文・人足54文,田代〜門馬間2里1町,本荷73文・無荷49文・人足37文,門馬〜平津戸間1里3町,本荷38文・無荷25文・人足19文,門馬〜箱石間4里18町,本荷169文・無荷114文・人足83文,平津戸〜川内間2里25町,本荷92文・無荷61文・人足44文,川内〜箱石間2里26町,本荷102文・無荷65文・人足49文,箱石〜川井間1里28町,本荷65文・無荷40文・人足30文,川井〜古田間1里24間,本荷60文・無荷40文・人足30文,古田〜腹帯間1里3町,本荷40文・無荷27文・人足20文,腹帯〜茂市間1里18町,本荷54文・無荷36文・人足27文,茂市〜蟇目間1里13町,本荷49文・無荷33文・人足25文,蟇目〜根城間1里10町,本荷46文・無荷31文・人足23文,根城〜田鎖間22町,本荷23文・無荷15文・人足12文,田鎖〜千徳間23町,本荷23文・無荷15文・人足12文,千徳〜宮古間18町,本荷18文・無荷12文・人足9文。北上山地を開析する閉伊川水系は険阻で難所が多く,付け替えや改修が繰返されて次第に川沿いのルートとなった。牧庵鞭牛和尚は宝暦大飢饉の難民救済の教化事業を道路開削に求め,同5年頃から入寂する天明2年までの20数年間を閉伊街道の改修に精進し,住民の応援を得て蟇目〜平津戸間約50kmを整備している。文政6年には五戸の豪商藤田武兵衛も松草から刈屋(新里村)までの新道を開削・改修した。また文化年間以降は異国船の領海侵入に備えて台場の構築など海岸防備のための軍用道的な性格も与えられ,改修工事が行われている。明治4年には初代の県令島氏が調査に乗り出し,5か年計画,28万円の予算で7.3mの幅員に拡張し,県道に編入した。同45年には宮古の菊池長右衛門らによって盛宮自動車株式会社が組織され,盛岡〜宮古間に定期バスが運行された。昭和28年に2級国道に編入,同38年1級国道に昇格,同40年国道106号に改められた。