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粟田村(近世)[徳島県]
角川日本地名大辞典(旧地名編)

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ板東郡,寛文4年からは板野郡のうち。徳島藩領。村高は,寛文4年の高辻帳,享保元年の高辻帳,天明7年の高辻帳ともに58石余,「天保郷帳」258石余,「旧高旧領」も258石余ですべて蔵入地。慶長2年の分限帳(秋山泰蔵文書)には「阿波田」と見える。「阿波志」によれば,土田は中,陸田10分の2・水田10分の8,反別18町8反余,村高255石,家数78。寛政7年の「鳴門辺集」によると,「耕作漁業山挊ニ而渡世仕候」とあり,庄屋は藤倉熊次郎とあり,その先祖は当村の開基人で,代々庄屋役をつとめ,安永年間には林方御用(藩有林の管理)を任命された。農業・漁業・林業が主であった。当地で産する米は江戸期には藩主の常食米である御膳米に指定されていた。このため,ここで使う肥料は魚粕・堆肥を主として,下肥を用いなかった。また,その運送の道中は,百姓・町人を土下座させ,吉野川渡船の際には士分も同船を許されず,その運送者は自由に城内を通過できたという(鳴門市史)。文政2年の御国中村々甘蔗植付砂糖製作調一巻(同前)には当村の名が見え,甘蔗の栽培を行っていたことがわかる。当村には粟田港があり,鯛・鯔・鱸・鰶・鰮・蛸・眼張などの魚類,蛽・貽貝などの貝類,和布・布海苔・海髪・水雲などの海藻類を漁獲した。江戸期には島田島北端の室村から阿波・讃岐の国境にかけての北浦漁場は讃岐国引田浦などとの入会になっており,寛永18年には讃岐国引田浦などが当村などに対して阿讃の国境と漁場の入会について確認している(同前)。しかし,阿波国では地先海面(地網代)と沖合い(沖網代)の入会漁権の区別が不明確であったために,地網代の専漁権が侵害されることが多く,引田浦との間でたびたび紛争が起こっている(同前)。幕末頃からは漁船に風力・潮力を利用して漁具を引き回す打瀬網漁業が行われ,エビ・雑魚などを漁獲した(同前)。当村の林業は,主に製塩燃料である柴薪を撫養地方の塩浜へ移出していたが,文化4年頃同地方の塩田に石炭焚の技術が伝来・普及すると柴薪の値が下落して売行不振となった。そのため文政8年頃当地方の住民の一部は郡代に願い出て,竹瀬村の銀主木内兵衛門から融資を受けて織物をはじめたが長続きしなかった(同前)。天保5年には困窮も深まり,当地方が山海によって生計を維持しているとはいえ,「漁業船稼之者ハ漸弐歩通位之義故,山稼相衰候而ハ忽凌方無御座」などという状態であった(同前)。安政6年の当村の廻船についての指出帳(同前)によると当村には大坂廻船4艘(ともに25石積2反帆)があり,阿淡両国の干鰯・塩魚類を盛んに大坂へ搬送していたことがわかる。神社には,葛城神社があり,天喜年間に大和の葛城に座す一言主の分霊を勧請したと伝える。境内の柳の井という井戸は眼病に効くといわれ,同社は眼の神様として有名で,多くの信者が参詣にくる(県神社誌)。また,11月5日の祭礼には奴行列の練りと獅子舞が奉納され,その際しんねり2名が長さ5.6mの長い手槍を投げて受け渡しする(鳴門ふるさとの芸能)。寺院には,真言宗長寿寺があり,古い般若経と,「応永廿年三月廿日讃州柞原王子」の銘がある方丈を蔵している(板野郡誌)。当村の民俗として,1・5・9月の各24日に行う命長の年中行事がある。また,当村や櫛木村などは星越峠を隔てた堀江・大津・撫養などの讃岐山脈南麓の平野部との通婚が盛んであったことも知られる。明治4年徳島県,同年名東【みようどう】県,同9年高知県を経て,同13年再び徳島県に所属。明治9年調の戸数87・人数444うち男230・女214,船数は50〜200石1・50石未満荷船6・漁船19,明治初期の物産は米は質最美といわれ,職業別戸数は農業45・工業1・商業3・雑業36(板野郡村誌)。同22年北灘村の大字となる。