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(近代)昭和14年〜現在の行政字名。はじめ遠別(えんべつ)村,昭和24年からは遠別町の行政字。もとは遠別村の一部,ルベシベ。通称中央遠別,中遠別,ルベシ,愛知川南,愛知川北とも呼ばれた。地名は市街地と奥地との中間地点に位置することによるという。旧地名ルベシベはアイヌ語で径路のある沢の意のルペシュペナイと,アペシュナイ(中川町字佐久)へ下る道の意のアペシュナイルペシュペの2つの地名からつけられた。昭和9年の「愛知団体史ルベシュベ部落史」には「通称ルベシ沢より森林歩道刈分けありて三里余にして中川郡アビシナイ駅(佐久)に達す,行程極めて楽にして女子供にても容易なり,行商人,出稼人ここを通るもの相当多く」とみえる。明治30年愛知県の水野嘉六を長とする団体19戸・60余名が通称川南と川北に分かれて入地。移住記念日は5月1日,昭和15年頃まで各戸が休日とした。明治35年仮設教育所創始,翌36年隣接の字共栄に第三簡易教育所が公設され,尋常小学校に昇格し,地内19号に中央遠別の校名で移転したのが同44年,のち中央小学校となる。明治40年通称川北,ルベシベ地区に遠別川を渡河する渡船場が開設(渡し船賃大人4銭,子供3銭,馬車・馬橇8銭)。大正14年ワイヤロープの釣橋が架かるまで続き,昭和7年川北橋が架橋。移住時の戸数は愛知19・ルベシベ4,昭和9年の世帯数は愛知34・ルベシベ13となり,合計の世帯数47・人口308。農地価格は水田10aが100〜150円,畑地約30円であった(昭和9年中央遠別郷土調査)。大正12年中遠別巡査駐在所設置,昭和20年頃廃止。また昭和12年中遠別町郵便局開局,同58年閉局。昭和26年の世帯数57・人口385。
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