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(近世)江戸期の町名。甲府城下上府中(古府中)26町の1町。武田氏の時代に造営された町の1つで,甲府築城にともない新城下に組み込まれた。町人地。甲府城の西,郭内に位置する。北は元三日町の角,玉泉院敷地,南は下横沢町に接する南北通りで,東側86間・西側90間半(国志)。また東は甲府城の二ノ濠,西は相川堤に接する。町名の由来は相川の氾濫が繰り返されて自然の沢となったことにちなみ,下横沢町に対する。町人足役を勤める大助32町の1つで,年間の人足出役基準は7人。戸口は,寛文年間101人(甲府御用留/甲府略志),貞享4年30戸(上下府中間別/同前),享保5年128人(上下町中人数改帳/甲州文庫史料2),宝暦12年108人(甲府町中人別改帳/同前),文化初年25戸・72人,うち男32・女40(国志)。寺院は西側に曹洞宗恵運院末横沢山慶長院と同宗灯明山献光寺があり,慶長院は慶長年間の創立で黒印寺領1,500坪,本尊は釈迦像であるが,別に観音像を観音堂に安置し,府内14番の巡礼札所である。献光寺は嘉永2年風難で本堂を吹き壊され,再建できず,無住のため慶長院が兼帯した。天保7年の甲府上下町屋敷数人別改覚(甲州文庫史料2)では下横沢町と合わせて横沢町と見え,このころには横沢町の一部になっていたと思われる。
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