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八屋村(近世)[福岡県]
角川日本地名大辞典(旧地名編)

 江戸期〜明治22年の村名。上毛郡のうち。小倉藩領。友枝手永に属す。村高は,「正保国絵図」920石余,「元禄国絵図」973石余,「天保郷帳」1,612石余,「旧高旧領」1,446石余。元和8年の家数150(うち牛馬小屋24)・人数338,牛27・馬27,同村浦分の家数40・人数124,うち本水夫12人(人畜改帳)。中津街道筋に立村し,寛文3年より宿役が設けられ,八屋宿は町家でにぎわう。八屋港近くの河岸には,郡土蔵や商人の倉庫が立ち並ぶ。享保の大飢饉による犠牲者は187人,八屋浦は147人(開善寺過去帳)。享和2年,尾張の商人菱屋平七は「筑紫紀行」で人家約300軒,塩浜で聊の湊,町家も商家もあるが宿屋・茶屋はなく,うどん屋が1軒だけ,約1里行き沓川を歩いて渡ったと記述している。慶応2年の一揆は当町の者が起こした。神社は塞神社・四公神社・菅原神社・厳島神社,寺院は黄檗宗東光山宝福寺と真宗本願寺派紫金山賢明寺がある。高水寺・法連寺・安浄寺は廃寺(築上郡志)。明治5年八屋小学校開校,児童数は男60・女33。同6年山下小学校開校,児童数は男53・女51。同12年豊津中学の分校八屋中学校が創立されたが,同17年廃校となった。同21年の戸数551・人口3,131,反別178町2反(県史資料3)。同22年八屋町の大字となる。