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江戸期〜明治22年の村名。阿蘇郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」459石余,「正保郷帳」も同高でうち田72石余・畠387石余,「天保郷帳」583石余,「旧高旧領」788石余。高森手永に属す。「南郷事蹟考」では,高は当村のうち出口村88石余・谷相村438石余とあり,小村に杉園・榎園・政所などが見える(肥後国誌)。細川家侍帳によると,当村における藩士知行地は558石余で,うち白川の匂坂三右衛門正勝146石余,出口の山内九大夫128石余・山内勘左衛門直伉85石余,谷相の斉藤勘助101石余・上村利右衛門長久98石余(肥後読史総覧)。大量の湧水を誇る白川水源に祀られる白川吉見神社は水神と吉見神(国竜明神)を祭神とする。湧水は毎分60tといわれる。この東方,白川に近く総産土神の八王社がある。ここも社前に水源をもち,水神および阿蘇一宮から八宮までを併せ祀る。慶長初年頃までは当村のうち湯浦に年の神の社があり,同所に御神幸があったといわれ,地内の政所村には平重盛が当地にとどまり,南外輪山中腹にある清水寺を再建したとの伝説がある(南郷事蹟考/肥後国誌)。おそらく鎌倉期の地方行政庁の所在地であったと思われる。地内の河内寺村の夕照寺と古閑村の光尊寺(現光専寺)はともに十一面観音を祀り,各々阿蘇三十三か所観音巡り第22・23番の札所であったが,夕照寺のものは吉田新町の西安寺内に,光専寺本尊は同地集会所内にある。当村から約4km北に登ると,倶利加羅谷川上流に霊岩洞があり,阿蘇大明神の異国出征の姿といわれる倶利加羅さんを祀る。村の北の墓地に孝女として名高い妙歳の墓がある。「孝女白菊」のモデルといわれる。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治6年の後藤基行覚書(一の宮町岩下氏蔵文書)によると,戸数175,人口は男388・女401。同7年白川小学校創設,同11年の児童数は男53・女16(肥後読史総覧)。同22年白水村の大字となる。
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