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西念寺[中部地方]
角川日本地名大辞典

富士吉田市上吉田にある寺。時宗。山号は吉積山。本尊は阿弥陀如来。養老3年行基が開創して富士山に来迎した阿弥陀三尊仏を安置したと伝える。富士道場と号し,もと天台宗寺院であった。鎌倉期の永仁元年に時宗2世他阿真教が,甲斐教化の帰りに当寺に止宿して念仏を広めたので現宗派に改めたという。弟子の真海は真教の法灯を継いで住持となった。真海を当寺開山とする。永仁年間に武田の一族一条右衛門大夫吉積が諸堂を再建。これにより吉積山を山号とする(国志)。「妙法寺記」天文2年条に「此年三月十六日夜上吉田皆焼ル」とあり,当寺もこの時諸堂をことごとく焼失した。その後都留郡領主小山田信有が侍衆中12軒の棟別銭を免除(西念寺文書/甲州古文書3),天文11年10月には当寺新門前ともに棟別銭・諸役などを免じている。さらに同23年5月武田信玄は,当寺造営のため富士山参詣の導者に対し1人につき4銭の勧進を命じており,武田・小山田氏の保護を受けしだいに再興されたと思われる。ただ本堂は再建されなかったらしく,本尊を他所に移し仮堂を建てて仏事を行っていた。元亀元年10月小山田信茂は伽藍の復興のため,当寺僧衆番帳・当寺領12貫480文の仕置日記を発給。寺領のうち下吉田の3貫750文は仏供灯明料,上吉田・下吉田の7貫730文は伽藍造営料である(同前)。同3年1月富士山の雪代(雪どけ水)を避けるため上吉田村が全村古吉田から現在地に移転。その際当寺も移された(国志)。移転後の天正9年5月武田勝頼が信玄の印判状の旨に任せて造営料を勧進することを許可している(西念寺文書/甲州古文書3)。武田氏滅亡後の天正10年5月には織田信長の家臣河尻秀隆も7貫500文の寺領を安堵し,造営料の勧進は「心落次第」にせよと命じている(同前)。江戸期元和元年富士山の縁年にあたるため下吉田水丸尾と上吉田横町の精進場で元結(富士袈裟)を売ることを鳥居土佐守に許可され(国志),慶安2年徳川家光から20石の朱印地を賜り,寺中門前竹木の諸役などを免じられた(寺記)。石高は歴代将軍に安堵されている(同前)。天明8年の本末帳(本末帳集成)では藤沢の清浄光寺(神奈川県藤沢市)の末寺。江戸末期文久元年再度火災に遭い記録などをも焼失(富士吉田市史行政編)。その後復興され現在に至る。寺宝として木造釈迦如来立像(県文化財)を所蔵。県下では西八代(にしやつしろ)郡上九一色(かみくいしき)村の永泰寺にその例がある清涼寺式釈迦像である。