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大念寺[関東地方]
角川日本地名大辞典

稲敷郡江戸崎町江戸崎にある寺。浄土宗。正定山知光院と号す。本尊は阿弥陀如来。天正18年,源誉慶巌が江戸崎城主蘆名盛重を檀越として開創したという。慶巌は肥前国塩田城主の蔵原知覚の三男で,江戸芝の増上寺11世の雲誉円也,武蔵川越の蓮馨寺開山盛誉存貞の弟子安誉虎角らに就いて,白旗流の法系を継ぎ,浄土宗中興の祖了誉聖冏が組織した「五重伝法」の相伝を許可され,徳川家康に召されてしばしば江戸・駿府で城中法問を行っている(大念寺文書/県史料中世?,檀林江戸崎大念寺志/浄土宗全書20)。当寺創建後,慶長5年伽藍を焼失したが(大念寺文書/県史料中世?),同7年11月徳川家康より河内郡東条荘に朱印地50石を下賜され,再建も遂げられ(同前),関東浄土宗十八檀林の1つに列せられた(新編常陸)。4世真誉良徹が寛永13年に開山堂・経堂を,5世勝誉旧応が方丈を建立。末寺は,元禄9年の「浄土宗寺院由緒書」によれば,新治(にいはり)郡土浦の浄真寺,同郡金田村の長福寺,下総国香取郡松崎村の心光寺,同郡佐原の法界寺など12か寺(浄土宗寺院由緒書/増上寺史料集)。慶巌の没後,寺運は次第に衰退したらしく,享保11年8月の書上によると,衆僧75人,召使6人,門前8軒,知行百姓5軒33人,末寺・又末寺15か寺であったが,6年後には衆僧29人と減少(後来用事記)。また天明2年まで11軒存在していた学寮も同6年には1軒となった(日鑑)。江戸中期以後当寺の檀林の規模も縮小化していったが,一方この頃から民衆教化が積極的に行われるようになり,31世宝誉顕了や33世響誉説玄は月並百万遍念仏会を中心とする諸行事を通じて当地の民衆の教化を進めている。維新後,廃藩置県に伴う上知,檀林解体を経て今日に至る。文政2年に摂門が著した江戸崎大念寺志ほか多数の古文書を所蔵。一部は「県史料中世?」に収載。行事として,4月20日の開山忌,8月24日の施餓鬼会がある。