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(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。末満とも書き,行成村とともに深木村と呼ばれたことがある(鹿島志・源昌寺由緒書)。石木津川下流左岸に位置する。鹿島藩領。能古見(のこみ)郷に属す。村名の初見は貞享4年改元文3年写郷村帳で,「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに1村として見える。村内を神水(しめご)川が貫通し,石木津川とのほぼ中間の水田地帯に藤ノ森と称するわずかに小高い史跡があり,藤津郡の地名発祥の地とされている(肥前国風土記)。また往古,当地は有明海に臨む海岸であったとも考えられる(鹿島市史)。なお貞享年間の「鹿島志」には小舟津村に藤ノ森という記事がある。村高は天保3年鹿島私領村々畝数石高帳によれば,反別20町余,村高167石余。延宝5年末光村角割帳によれば,田畑屋敷畔反別20町余,村高167石余(内田18町余・152石余,畑6反余・3石余,竹畔1反余・3斗余,屋敷1町余・11石余)。田は上・中・下・下々・3下・4下・5下・6下の8段階に分けられ,畑は5下までの7段階に区別されていた。近世末期には,反別20町余,村高217石余(うち物成169石余・口米2石余・夫米8石余),ほかに潟運上銀13匁(鹿島藩記録)。明治初年の戸数32(うち農家26)・人口125。享保の飢饉では享保18年3月の1か月間に餓死者男3・女1を出している。寺院には,浄土宗西岡山三福寺と,浄土真宗深機山妙行寺がある。村内は,吉国・松・藤津の小地名からなる。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに納富分(のうどみぶん)村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,納富分村のうちに「末光村」と見え,戸数34・人口153。
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