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山背泊町[北海道]
角川日本地名大辞典

(近世〜近代)江戸期〜昭和40年の町名。箱館(函館)市中の1町。江戸期は山脊泊・山瀬止りと称した。函館山山裾北部に位置する。ヤマセは東風,トマリは碇泊地のことで,東風が吹くと船は,当地の船入澗に泊ったことからついた町名(箱館夜話草/函館市史史料1)。寛政11年幕府は,箱館港防備のため台場を築き,大砲2門を備えた(函館区史)。松浦武四郎「初航蝦夷日誌」には,「山せ泊り町,同じく(弁天町)の并び也。海岸立并び又是より東神明社の西迄也。町并びに側になりたり。漁者,水主,隠妓等斗也」「山瀬泊……海辺に呑江楼と申屋有。楼作りにし諸客を饗応す。此処人家十五,六軒有。皆漁者也……礮台,遠見場小屋壱軒。足軽壱人相勤る也」とあり,西側に津軽陣屋跡,さらに海岸沿いに温泉の湧くサブカワ(寒川)を記す。安政2年の「松前記行」によれば,箱館市中13町の1つに山瀬止とある(函館市史史料1)。台場の下に天光稲荷社がある(同前)。明治9年の戸数131・人口614(管内村町別戸口表)。同29〜33年第1期函館港改良工事で,山背泊船入澗(現函館漁港)の整備と防波堤の築造が行われた。明治32年函館区,大正11年からは函館市の町名となる。明治36年の戸数267・人口1,269(伊藤鋳之助文書)。文政5年箱館が幕府領から松前藩領となった時の申送書に「箱館寒川温泉取立ノ儀」として地蔵町の住人孫三郎らが出願した寒川温泉試掘の記録がある(文政五年四月箱館申送書/函館市史史料1)。また,開拓使の調査によると明治10年代に2か所の温泉があった(寒川亀湯・寒川鶴湯)。明治38年には幸小学校特別教授場もできた。寒川は,富山県宮崎村の出身者が多く,明治期は,ブリ漁が盛んであった。その後,住民が函館市街へ移転するようになり,人口が減少し昭和31年は人口0となる。昭和30年の世帯数250・人口1,451で,水産業関係世帯は54%。同36年台場町に一部編入。同40年入舟町となる。