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羽床城跡[四国地方]
角川日本地名大辞典

綾歌郡綾南(りようなん)町羽床下の城山(しろやま)(標高85m)に所在する羽床氏の本城跡。讃岐藤原氏の祖である綾大夫章隆の子資高が治承年間に羽床荘司となって萱原・滝宮・小野・北村・羽床下・羽床上・牛川・西分・東分の9か村を領し,城山に築城したという。その子重高も羽床荘一帯を押さえて羽床藤太夫と名乗り,讃岐藤氏の嫡流を継いだ(羽床家系譜)。元暦元年源氏の先陣として讃岐に渡った橘公業が源氏方への参集を呼びかけた際,重高の子藤次郎太夫重資が新居藤太夫資光(重高弟)・大野太夫光高(重高兄の有高の子)・三野首領盛資らとともにこれに応じ,鎌倉御家人の列に加えられた(吾妻鏡)。承久の乱では重資の子重基・重員らが後鳥羽上皇方にくみして敗れたので,鎌倉幕府方に参じて戦功をあげた新居藤太夫資村(資光の子)が阿野(あや)・香川郡を支配下におき,香西の地を本拠に香西左近将監(香西氏初代)と名乗って讃岐藤氏63家の棟梁となった。以後,羽床氏は代々伊豆守を称し,一門の中でぬきんでた香西氏の陣代として阿野郡南部に勢力を保つことになる(南海通記)。元弘3年幕府郡による楠木正成の千早城攻めに従った政俊は先陣の手柄をたてたが,あえなく戦死。南北朝期には政長が武勇の聞え高い羽床七人衆(後藤是兵衛・羽床源内・造田佐渡・秋山三郎・脇糸目・有岡牡丹・大林丹後)を率いて南朝方で活躍。時に,讃岐武士の大半は守護細川氏のもとで北朝方に属したが,政長は国内はもとより吉野川上流の阿波南朝軍と連携しつつ各地で奮戦した。しかし,阿波守護で四国大将軍となった細川頼春による南朝軍制圧が進むと,香西氏を介して頼春の説得を入れ北朝方に帰順した(太平記・細川家文書など)。その後,長らく香西氏の陣代を勤めた羽床氏も,天正6年香西氏18代佳清が資載の女を離別したことをきっかけに,香西氏から離れて阿野北条・南条の2郡を押さえて自立しようと動いた。天正7年3月同族福家資顕が香西方に謀殺されると,その対立は表面化し,勝賀西表平尾合戦(香西の内輪割れ)にまで及んでいる。この直後,中讃攻略を目指す長宗我部元親の軍勢1万2,000余が羽床城に迫った。資載の兵わずかに750余,元親の先陣に激しく打って出ること8度,だが多勢に押されて籠城。城内の軍議は徹底抗戦か降伏かでまとまらなかった。元親は羽床勢の奮闘ぶりをたたえ,将兵から領民に至るまで処分しないことを約束し,先に元親に属した天霧城主香川信景を使者に立て降伏を勧めた。資載はこれを受け入れ,子弥三郎資吉を人質に送って開城した。この後,資載は元親軍に加わって転戦し,天正10年十河城攻めの陣中で病死。元親は人質として預かった資吉を羽床城に帰し,家督を相続させた。資吉は,天正13年豊臣秀吉の四国平定が成って讃岐に封ぜられた仙石権兵衛秀久に従い,島津攻めに出陣したが,天正14年12月豊後戸次川合戦で討死,ここに讃岐藤氏嫡流の家柄を誇った羽床氏の直系がとだえた(南海通記の羽床伊豆守伝ほか)。さて,城山は大高見峰(標高504m)北東麓の小山丘で,前方に綾川中流沿いに開けた羽床の平野部を望み,後方に大高見峰から高鉢山への連山がそばだつ。山頂部南側にコの字形の土塁(幅2m・高さ1.5mほど)に囲まれた本丸跡があり,北側に土塁の切れた虎口でつながる二の丸跡が付く。二の丸跡北端部は一段高く造って玉垣を構えた祠堂が祀られ,その傍らに戦国の昔をしのばせる苔むした五輪塔と,昭和9年12月羽床氏の末孫が祖先を追慕して建てた羽床城跡の碑がある。本丸跡の西側に3〜4段の郭跡が見られ,二の丸跡から北側へ下り立つと幅4m・深さ1.5mほどの空堀跡が残る。かつて,空堀は山頂部の主郭を防護する形で東・西側にも巡っていたという。空堀から北側下方の平坦地は墓地に造成されて旧状をとどめていないが,前衛部の郭が存在していたものと考えられる。墓地に沿って北東の尾根筋を下り,山裾に近づくと小道の西手に河原石積みの古井戸(径約1m)がある。落城のおり,資載の御台所が化粧を整えた井戸であるという。また,城山西方に大屋敷(居館跡)・市の庵(城下の市場跡),南西麓の民家に御新造,その上手の小森付近に射場さん(弓場跡)など城に関する古地名や屋号が伝えられ,南東上手の久我山本法寺は天文年間本成院日章上人の開基で資載の内室の菩提所,南方上手の奥谷神社は羽床氏の尊信が篤かったという。なお,大高見峰から北東に下った尾根の頂部(標高257m)は城山(じようやま)と呼ばれ,羽床城背後の詰の城的な城砦で家臣大林氏の守備するところであった。それを含めて,羽床城周辺の要地には,小野城(綾南町)・後藤城・脇城・三日城・七郎岡城・牛川城・羽床上村城(以上,綾上町)・造田城(琴南町)などの支城網が形成され,領国堅固な城構えがとられていた。