辞書一覧
検索結果一覧
6079件Hitしました
141から10件/6079件中
「なかうみ」「ちゅうかい」ともいう。鳥取・島根両県境の北端に位置する汽水湖。島根半島・松江平野・弓浜半島に囲まれる。周囲69km・面積101km(^2)。湖中には大根島・江島・弁慶島があり,湖底は低平で平均水深7m,大根島北方に14mの最深部がある。宍道(しんじ)湖・松江平野・中海の低地帯は宍道地溝帯と呼ばれ,洪積世に入りこの地域の堆積が進行し,中海の西側に松江平野,東側に弓浜半島の巨大な砂州が発達した。このため中海は外海と隔離されて潟湖となっている。中海を外海と隔離させている弓浜半島は幅4km,北西〜東南方向に長さ18kmにわたって弓状に延び,標高21mの砂丘列を中心に2列〜5列の砂堆列が発達している。内陸部の砂丘地には「クロズナ」層が見られ,この砂層からは先史遺物が出土する。このことから考えると弓浜半島は古くから本土と陸続きとなり人々の生活が営まれていたと考えられる。しかし,733年撰の「出雲国風土記」には「夜見島」と記されており,天平期は島状の砂州であったとも考えられる。湖中に浮かぶ大根島は最高点が大塚山の標高42mで低平なテーブル型の島である。第三紀鮮新世(約500万年前)の頃の火山活動により噴出した玄武岩で構成され,山陰には珍しい溶岩トンネルが見られる。また,島内にはボタン・薬用ニンジンを代表する花卉が栽培され,園芸作物の栽培が盛んである。中海はかつては魚介類の宝庫で,ボラ・スズキ・エノハ・ハゼ・コノシロ・コチ・シジミ・ウナギ・シラウオなどが米子港に水揚げされた。また,水鳥も越冬のため多数飛来する。中でもコハクチョウの越冬南限地として有名で,島根県東出雲町の湖岸では一時600羽の餌付けに成功していた。しかし,昭和43年に中海干拓事業が始められ,森山堤・大海崎堤・馬渡堤が完成して漁道がたたれ,中浦水門の完成により水の循環に変化が生じはじめると漁獲,水鳥の飛来に大きな変化を見せはじめた。漁獲は激減し,餌付けに成功していたコハクチョウもねぐらを変え,現在では米子市彦名地区の干拓途中にできた浅瀬に飛来地を変えている。中海の干拓は米川の完成(1759年)に始まる。弓浜半島をつくっている砂丘砂中には砂鉄が含まれており,この砂鉄を採取するため農間期に米川の水を利用して砂流しを行った。この流砂で中海を埋積し新田を開発していったのが干拓の始まりである。大規模な干拓が本格的に計画施工されたのは昭和43年のことである。昭和30年に「中海の3分の1にあたる2,500haを農地に」と計画され,水田による稲作経営をめざした。しかし,食料増産期をすぎた現在では全面的に畑作へ転換,そして一部は工業用地への転換をせまられている。干拓は彦名・弓ケ浜・安来・揖屋(いや)・本庄の5工区に分かれ,総事業費750億円で,昭和55年度までに予算の56.4%が投入,森山堤・大海崎堤・馬渡堤・中浦水門が完成している。当初の計画より完成は7,8年遅れそうであるが,同63年の完成を目ざしている。この干拓は新農地,工業団地をもたらし新たな期待が持たれる反面,中海の汚濁化を代表とする環境破壊の不安をもなげかけている。
次の10件