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立野村(近世)[静岡県]
角川日本地名大辞典(旧地名編)

 江戸期〜明治22年の村名。遠江【とおとうみ】国豊田郡のうち。枝郷に長森がある。幕府領,のち旗本長谷川氏領。村高は,「元禄高帳」337石余,「天保郷帳」375石余,「旧高旧領」378石余。延享2年の家数86,うち本百姓77・水呑百姓9,人数377,酒造屋3・大工5・鍛冶屋1・傘屋1・行屋1。田畑に砂土が多く,肥料には油糟・鰯などを投下し,秣・薪は向笠原から購入した。年貢米の津出しは掛塚湊(現竜洋町)から。田畑は寺谷用水により灌漑し,圦樋は2か所。農間には杭・草鞋【わらじ】を作ったり,機織りに従事した。天竜川通往還堤は90間,川通本堤は194間,出し堤は60間,内堤は885間(豊田町郷土資料館収集文書)。天保2年当時は天竜川通東側御料私領水防組合に所属し,同年の本堤(大囲堤)は西之島村境から森本村境まで275間(磐田市誌編纂室収集文書)。天保9年当時は井通り(寺谷用水)73か村組合に所属し,寺谷井役として枠木・籠・竹代などを供出した。「遠淡海地志」によれば戸数87,うち長森27。天竜川の氾濫による洪水被害をしばしば受け,また安政の大地震には村中の家々・地蔵堂まで全壊した。寛延元年当村ほか4か村と前野村(現磐田市)との水防争論は新堀の設置と古堀の拡幅により解決した。天竜川渡船は寛政4年定助人足郷として大通行などの際,手伝人足を出し,のち大助役村17か村の1村となった(天竜川渡船勤方並役助郷定助大助船手伝人足書上帳・東海道宿村大概帳)。年貢は明治2年高369石余・反別43町余,うち引高98石余で,年貢率は本田5割余・本畑4割余。村役人は本村に名主1・組頭2・百姓代1,枝郷長森に名主1・組頭1。長森・藪西の天竜川渡船場は東海道の要地として栄え,乗船客が休む茶屋が軒を連ね,長森茶屋と呼ばれたという(ふるさと豊田)。長森膏薬は江戸初期から売り出された。神社には諏訪大明神社・松尾社・天神社,寺院には曹洞宗の安楽寺・金蔵寺・地蔵堂がある。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治5年の戸数60。明治22年井通村の大字となる。