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筑豊炭田[九州地方]
角川日本地名大辞典

県北東部にある炭田。遠賀(おんが)川流域の田川市・飯塚市・直方(のおがた)市・山田市・中間市・北九州市(八幡西区)・田川郡・嘉穂郡・鞍手郡・遠賀郡の6市4郡にまたがり,わが国有数の規模を誇る。東は福智山地,西は孔大寺(こだいじ)および三郡(さんぐん)山地,南は熊ケ畑山で囲まれ,北は響灘に面し,南北約50km,東西は北部で12km,南部で28km,面積は約787km(^2)。炭田の中央をほぼ南北に走る金国・船尾山地および六ケ岳により古第三紀層が東西に分かれ,炭田は数地区に分かれる。古第三紀層の層厚は約2,000m,下位から直方層群(大焼累層・三尺五尺累層・竹谷累層・上石累層)・大辻層群(出山累層・遠賀累層)・芦屋層群(山鹿累層・坂水累層・脇田累層)となっており,主要炭層は直方層群と大辻層群で,西側は不整合,東側は北北西方向の断層で中生層・古生層・花崗岩と接する。地層の走向は,北北西から南南東に走り,北東に10°から20°傾いて,多くの北西方向の断層で切られる。炭質は瀝青炭で,嘉穂郡や田川郡南部では玄武岩および安山岩が石炭層を貫いて炭質を変え,煽石や無煙炭になっている。石炭の発見について,嘉麻郡笠松村(現,飯塚市)で,燃える石をたいて神功皇后の布を乾かしたという伝説(負立神社縁起)があるが,室町期の文明10年に五郎太夫という人が遠賀郡埴生(はぶ)村(現,中間市)で燃える石を発見したのが,筑豊の石炭開発の始まりという。「福岡藩民政誌略」に「香川世譜」を引用して「文明十年香月村(北九州市八幡西区香月)の金剛山に黒石を掘り出し薪とす」とあり,「続風土記」には「焼石」と記され,「遠賀,嘉麻,穂波,宗像郡の所々の山野にこれあり」と見える。18世紀の中頃から,筑豊の各地で石炭が掘られ,四国・中国の塩田や福岡方面にも船で送られるようになり,福岡藩による石炭採掘が進められた。本格的な開発の端緒は,明治2年の政府による鉱山開放に始まり,明治20年代の鉄道開通とともに中央資本の進出により筑豊炭田の開発は急速に進んだ。明治30年代から大正期にかけては全国出炭量の50%を産出し,直方・飯塚・田川・山田・中間の5市をはじめ多くの炭鉱町が発達した。昭和32年頃には,田川・大之浦・芳雄・高松・二瀬など大小合わせ233の炭鉱を数え,年間1,497万tを出炭したが,同30年代後半からの石炭合理化政策により閉山が相次ぎ,同51年,貝島炭鉱の閉鎖を最後に筑豊の炭鉱は姿を消した。埋蔵量約25億t,採掘された石炭量は約8億5,000万t。